幕末を代表するヤクザ「清水次郎長」...その妻は「浮気」していた!? 2人の男の間で揺れる「極道の妻」の衝撃の生き様

AI要約

東海道五十三次を旅しながら時代小説を楽しむ一冊『時代小説で旅する東海道五十三次』からの一部抜粋。江戸時代の風俗や自然を追体験できる内容。

清水を起点として宿場を巡りながら、歴史的背景や人物のエピソードを紹介。清水次郎長や武田信玄などの名が登場。

江尻湊(清水)の発展や次郎長一家の歴史、江尻三町の宿場エリアの概要について詳しく解説。

幕末を代表するヤクザ「清水次郎長」...その妻は「浮気」していた!? 2人の男の間で揺れる「極道の妻」の衝撃の生き様

日本橋を出発点に、53の宿場を経て京都三条大橋を終着点とする東海道五十三次。

その約490キロメートルにわたる長い旅路の上には、四季の変化に富んだ美しい国土、泰平無事の世の艶やかな賑わいが確かにあった。

各宿場を舞台にした時代小説を解説しながら、江戸時代当時の自然・風俗を追体験する旅好きにはたまらない一冊『時代小説で旅する東海道五十三次』(岡村 直樹著)より一部抜粋してお届けする。

『時代小説で旅する東海道五十三次』 連載第19回

『「足利尊氏」に「徳川家康」...偉人や皇族も愛した地で「女たらし」が起こす珍道中! 悪巧みの末たどり着いた驚愕の結末とは』より続く

『からくり乱れ蝶』(諸田玲子)

☆宿場歩きガイド

JR清水駅下車。静岡市清水区辻町あたりから、清水駅前の清水銀座を抜け、巴川にかかる入江町にいたる界隈が江尻宿だった。「江尻」の名は、巴川の尻(河口)の意だろう。鎌倉~室町期にかけては江尻湊(津)と呼ばれたが、戦国期に入って清水湊の呼称が一般的になったようだ。

東海道線の建設に際し、レール、枕木などの資材は海上輸送によって沼津、清水、愛知県の武豊の3港に陸揚げされることになった。この頃、江尻湊(清水)の荷役を仕切っていたのが清水次郎長だ。次郎長は富士山山麓の開墾にも一役買っていることを考え併せると、なかなかに目端がきく男だったようである。

今川氏を滅ぼした武田信玄は江尻に城を築かせ、水軍の根拠地とした。その後、駿府に隠居した家康が城の堀を埋めて町屋を建設、元和元年(1615)には42軒の廻船問屋に営業権を与えた。以降、江戸~大坂の物資輸送の中継地として賑わった。

次郎長の父は船持船頭、次郎長自身も老後に船宿兼料亭「末廣」を建てている。

本作で次郎長が一家を構えている仲町は、下町、魚町と並んで「江尻三町」と呼ばれて宿の中心だった。2軒の本陣、3軒の脇本陣、50軒の旅籠のほとんどは江尻三町に集中し、高札場、問屋場は魚町にあった。