慶應院で求められた「創職(そうしょく)活動」。建築×デジタルのスタート地点【VUILD・秋吉浩気2】

AI要約

VUILD代表取締役CEOの秋吉浩気は、世の中にない事業を創り続けているクリエイターである。

彼の生い立ちや小学校時代の経験が、クリエイティブなマインドを育んだ。

現在の彼の活動は、建築家としてだけでなく、クリエイティブな視点を取り入れた幅広い領域に及んでいる。

慶應院で求められた「創職(そうしょく)活動」。建築×デジタルのスタート地点【VUILD・秋吉浩気2】

VUILD(ヴィルド)代表取締役CEOの秋吉浩気(こうき)(35)は、未来を先取りする果敢なアプローチを続け、世の中にまだない事業を創ってきた。

機器の販売からソフトウェアの開発まで、彼が生んだ事業は、建築家という枠組みにとどまらない領域に広がる。

彼はなぜ、世にない事業を新しく創発できるのか。

まずは、彼の生い立ちから見てみよう。

1988年、秋吉は大阪で生まれる。父は中小企業の経営者で、後にコンサルタントとして独立した。秋吉に、父親の影響を受けたのかと問うと、「むしろ反面教師的な影響ですね」と意外な答えが返ってきた。

「親父の関心は、論語かそろばんかと二択ならば、そろばんを弾く側。でも僕は論語側。

事業をグロースさせることは重要ですが、僕の重要な判断軸は世の中を面白くしていけるか、クリエイションとして面白いかどうかにある。僕は基本、クリエイターなんです」

それなら、ものを作り出したいというクリエイターマインドは、どこで磨かれたのか。

「通っていた小学校の影響が大きかったんじゃないでしょうか」

秋吉は5歳で東京に移り住み、目黒区の宮前小学校に入学。この学校の建物が、秋吉にとっての原風景なのだという。

廊下と教室の垣根もなく、壁のないオープンなスペースが多いつくりで、建物の設計の際、「オープンスクール形式」を採用した学校なのだった。調べてみると、日本の学校建築では戦後初の試みで、その道で功績を上げた人が設計した建物だと分かった。

「空間がひたすら広くて開放感があった。学校側は教育理念としても、これをしなさいと押しつけもしなかった。

僕はひたすら工作をしていましたね。僕が考えた『まち』を創って、オープンな場所に置いておく。毎日登校するたびに付け足して、『まち』を広げていく。

そういう伸びやかな時間を重ねる中で、僕の感性は育まれていたと感じますね」

小学校の同級生が大人になってから就いた職業は、料理人、マジシャン、きこり、大学の教授……とさまざま。そして秋吉は、「既存の枠にはまらない」建築家だ。

「一学年30人みんなが、自分が好きでやっているような仕事に就いていた。教育の影響って大きいんだなと、今になって思いますね」