プラス思考こそ災いの根源…禅僧が「ポジでもネガでもなくニュートラルなゼロ思考をもて」と説くワケ

AI要約

南直哉さんによると、休息は何かを見極めるために必要であり、前向きでも後ろ向きでもない『ゼロ』の思考が重要だという。

また、南直哉さんは「プラス思考」に疑問を持ち、その背景には金銭や利益を重視する社会的な考えが潜んでいると指摘している。

人間的な成長や反省は金銭で評価される傾向があり、市場経済の影響が深く、人間を単なる「人材」として扱う傾向があると述べている。

休息はなぜ必要なのか。『苦しくて切ないすべての人たちへ』を上梓した禅僧の南直哉さんは「前向きでも後ろ向きでもなく、そこに止まることで見えてくるものがある。プラスでもマイナスでもない『ゼロ』の思考が必要」という――。

 ※本稿は、南直哉『苦しくて切ないすべての人たちへ』(新潮新書)の一部を再編集したものです。

■年配が若者に「プラス」関係を乱射

 いつの頃から言われ始めたのか知らないが、私がどうしても苦手で馴染めない言葉に「プラス思考」というものがある。

 これをやたら連発するのは、多くの場合中年以上の男で、女性や若者から聞く頻度は、私に関する限り少ない。

 類語に「ポジティブ」「前向き」などがあるが、これも我が物顔に言われると辟易するしかない。

 以前、某ホテルの喫茶店で人を待っていたら、隣の席に同僚らしき男が二人、差し向かいで座っていて、年配の方が若い方に、「プラス」関係を乱射していた。

 「だからさあ、そこはプラス思考で行こうよ。何事も前向きでやらんと、君みたいにネガティブに考えてたら、先に進まんもん」

「はあ……」

「ダメ、ダメ! 変に考えすぎると、マイナスだよっ!」

「ただ、対案を出すとき、もう少し詰めておくべきだったと……」

「それは済んだこと! もう次を考えんと! ポジティブにいかんと‼」

 若い方は、落ち込んでいるようにも、後悔しているようにも見えなかった。彼は反省していたのである。その「反省」に対して、中年は、とにかく「次」に向かって、プラスでポジで、前に出ろとまくし立てるのだ。

■「ポジティブ」の「ものさし」は儲けと稼ぎ

 私は別に、「ネガティブ」が良いとも、「マイナス思考」が大事だとも、「後ろ向き」が必要だとも思わぬが、他人の「反省」を無にしてまで、何故に人が「プラス」関係にこうも自信満々なのか、理由がわからない。

 その「プラス」とは、いったい何を意味しているのか。

 思うに、それは「もうけること」「稼ぐこと」「得をすること」であろう。「ポジティブ」も「前向き」も基本はそれである。より大きく稼ぐために「ポジティブ」で「前向き」でなければならない。

 いや、「人間的な成長」や「社会人として認められる」ためだと言う御仁もいよう。気持ちはわかるが、当節では「成長」も「認められる」のも、それを計測する「ものさし」は儲けと稼ぎ、すなわち金である。

 それなりに真面目な「反省」が、「マイナス思考」で「ネガティブ」で「後ろ向き」にしか見えないのは、本来なら測るべきでないところを、金で測るからである。当節、人を「人材」と呼んで憚らないのは、我々の思考と心情が、市場経済の金回りの中にドップリ浸かっている証拠だ。