あまりにも左派色が強すぎる…刑務所の受刑者たちが口を揃えて「もう見たくない」と話すテレビ番組

AI要約

刑務所の中での生活や教育の現状を紹介。刑務所では自主学習の時間が確保されており、受刑者たちも様々な学びの機会を持っているが、資料の古さや制約もあり、向上心を持つのは難しい状況が描かれる。

受刑者たちが自由時間をどのように過ごしているか、図書館の資料や教材の現状、教育機会の制約、改善の提案などが明記されている。

デジタルからアナログに逆行する事態が生じ、読書を通じた教育機会が減少している状況が説明されている。

刑務所の中ではどんな生活が行われているのか。元法務大臣で、刑務所で服役していた河井克行さんは「受刑者の居室にはテレビがある。だが、視聴できるのは刑務所の教育部門が選ぶ番組のみ。それに不満を持つ受刑者は多かった」という――。(第1回)

 ※本稿は、河井克行『獄中日記 塀の中に落ちた法務大臣の1160日』(飛鳥新社)の一部を再編集したものです。

■元法務大臣はどんな刑務所生活を送っていたのか

 さて、刑務所では思っていた以上に自主的に学習する時間を確保することができる。月曜から木曜までは、作業を終えて共同入浴(週3回15分間)の後は居室へ戻る。一番風呂の日は15時過ぎだ。それから17時前の夕点検までは自主学習の時間だし、夕食が終わる17時過ぎから21時の減灯までは自由時間だ。金曜日は矯正指導日といって、房で視聴覚教材を2時間ほど見たり、ワークブックなどを記入したりするほかは、ずっと自主学習が義務付けられている。

 土日・祝日は、点検や食事を除き、房でまるまる自由な時間となる。問題は、その潤沢な時間を受刑者はどう過ごしているのかだ。

 僕は妻に勧められて、英単語を覚えたり、外交・安全保障に関する博士論文の作成を目指して勉強に追われたりしているので自由時間が足りないくらいなのだが、仲間たちに尋ねて浮かび上がってくるのは、時間を持て余している実態と、刑務所が施す「良き教育機会」の絶望的な少なさだ。

 差し入れもなく、自費で本を買う余裕にも乏しい受刑者にとって、頼みの綱は各工場に400冊ずつ備えられた官本(貸出図書)なのだが、本が非常に古い。実に古い。大体、主流は15~30年前の出版物だ。1960~70年代に出た本も珍しくない。

■受刑者に人気のある貸出図書の名前

 そんな本たちが、セロテープやボンドであちこち修理されて懸命に頑張っている姿を見ると、ホロリとなる。古い本の小さい活字は中年を過ぎたら読みづらいし、情報も古い。僕が一人で担当する特別貸与本(辞書、六法、語学、資格取得など)は、さらに年季が入っている。

 少しでも新しい版の辞典を使ってもらいたい僕は、貸出請求が来ると新しい順に貸し出すようにしているのだが、大半を占めるのはやはり数十年前のものだ。1972年刊行の和英辞典があるのにはめっちゃ驚いた。辞書は小説と違い、情報の更新が必要なのに。これで受刑者たちの向学心を誘うことができるのだろうか。

 このセンターでは日商簿記試験を無料で受けられるので、その参考書、問題集は特に人気が高い。でも在庫はたった1冊ずつだけ。請求されるたび、「貸し出し中」と断らなければならない僕は、いつも心苦しさに駆られる。

 少しでも受刑者の皆さんの役に立つならば、と自分が読み終えた私物の本を寄贈したいと、東京拘置所でもこのセンターでも刑務官に相談したけれど、「それはできない」との返答だった。

 ここには、「社会貢献本」といって、受刑者の私本を募って業者に売り、そのお金を福祉施設に寄附する仕組みがある。僕はその処理も担当しているのだが、ほとんど新品の辞書や最新版の簿記の本をはじめ、人気の高い小説や人生を考える良書などが毎月800冊以上も集まってくるのだ。

 社会貢献本の真新しい表紙を横目に、同じ表題の古い官本を修理していると、なんでこの本を官本に編入できないのか、と思えてしまう。社会に貢献する前に、まずは自分たちの仲間に貢献させてくれよと思ってしまうんだけどなあ。

■「河野太郎さんが知ったら怒るだろうな」

 もう一つ、今春から借りられる冊数が減ったことも課題だ。喜連川は開設以来、官民が協働し、効率的に質の高い公共サービスを提供するPFI方式がウリだったのに、4月から民間企業が手を引いて、純然たる国の管理運営に変わった。

 その影響は僕のいる図書計算工場に色濃く及んだ。それまで貸し出しを管理していたのは、全ての官本に貼付されたバーコードだったんだけど、それがなんと、昔懐かしい手書きの図書カードに変わったのだ。

 「普通、アナログからデジタルに進化するもんやのに、その逆や。ケッタイなことや」

 大先輩をはじめ、工場のみんなは首を傾げながら、図書カードに題名を書き写す作業を行った。その数、2万冊。

 河野太郎デジタル大臣――僕の直前の法務副大臣でもある――が知ったら怒るだろうなあ。

 こうして、令和のデジタルから昭和のアナログに“退歩”した結果、1回最大3冊、次の日に返せば毎日でも借りることができた官本は、週に1回の貸し出しのみとなった。単純計算で、読める冊数が4分の1に減ったのだ。それは、読書を通じた教育機会がそれだけ失われたことを意味する。