銀座ママが宮司に転身、「神社検定」に興味持ち勉強するうち勧められ…「人生でそうそうできるものではない」

AI要約

松本市出身の村山陽子さんが、波乱の半生を経て奈良県の駒形大重神社の宮司に就任した。

彼女は苦難を乗り越えて、逆境から成功を収め、神道を学び始める決意をした。

最終的に、神職の資格を取得し、宮司に就任するまでの道のりが描かれている。

 大阪・北新地や東京・銀座のクラブでママとして勤め、海外で起業した経験もある村山陽子さん(59)が、奈良県御所市楢原の駒形大重(こまがたおおしげ)神社の宮司に就任した。波乱の半生を経て「不思議なご縁に導かれた」。14日、就任を祝う奉告祭に臨む。(中井将一郎)

 奈良盆地や大和三山を望む葛城山麓。苔(こけ)むした石段を上ると、風が通り抜け、社を囲む木々がざわざわと揺れた。「この風と、高台のすがすがしさが好き」。境内を掃除していた白装束の村山さんがほほえんだ。

 長野県松本市出身。不自由なかった暮らしは小学1年の時、父親の他界で一変。伯母を頼って奈良のアパートに移り住み、母親は多額の借金を抱えた。小学校高学年の頃、「私が働いて家計を支える」と誓った。

 中学生の夏休み、旅館で住み込みのアルバイトをして「仕事人生が始まった」。高校は早々に中退し、大阪のクラブで働き始め、「交通費以外はすべて家計に入れた」。高級クラブにスカウトされ、借金を完済。父の墓を造り、家も建てられた。23歳で北新地のママに昇進。29歳で独立して店を持った。当時の睡眠は3、4時間だったという。

 働きづめだった34歳の頃「ふと我に返って」、幼い頃から憧れていた亡き父の母校・早稲田大を目指して猛勉強を始めた。結婚が決まると店をやめ、見事合格して35歳で社会人入学。発展途上国の教育を学んだ。卒業後、ドバイで中古車取引の会社を起業。マラリア抑制の仕事も始めた。

 事業が軌道に乗らず、もんもんと過ごす中、もう一度、自分の店を持ちたいと思うように。2015年、銀座にクラブを開いた。ある日、客の男性から「神社検定を受ける」と聞き、興味が湧いて受検。何度か試験会場の国学院大(東京都渋谷区)に通い、神職を目指す白装束の学生を見るうち、神道を本格的に学びたいと考えた。

 店を続けながら20年、神職の資格が得られる同大学の神道学専攻科に入学。翌年には、大学院に進んだ。そんな頃、奈良県選出の国会議員秘書に、駒形大重神社の宮司になるよう勧められた。前宮司が高齢となり、後任を探していたという。