【今日は何の日:6月6日】1961年、日本のラーメン史を変えたといっても過言ではないあの店が東池袋で開業

AI要約

2003(平成15)年 外国からの侵攻など有事の際の政府の対処措置の基本を定めた武力攻撃事態対処関連3法が成立した。有事法制整備への理解が広がった背景には、北朝鮮の不審船事件や米国の同時多発テロ事件があった。

1862年(旧暦:文久2年5月9日) 江戸幕府が欧米各国との取り決めを行い、開港開市延期問題を解決。反発を招きながらも、勅許を得ずに行われた外交交渉の結果、京都朝廷の攘夷派公家らが反発し、最終的に孝明天皇の勅許を得た。

1941(昭和16)年 北海道雄武町で幌内ダム決壊事故が発生し、60人が犠牲となった。決壊は集中豪雨によるものであり、ダムは終戦後に再建されたが、発電を停止し砂防ダムとして残された。

【今日は何の日:6月6日】1961年、日本のラーメン史を変えたといっても過言ではないあの店が東池袋で開業

2003(平成15)年 外国からの侵攻など有事の際の政府の対処措置の基本を定めた武力攻撃事態対処関連3法が成立した。「武力攻撃事態法」を新たに制定、日本の平和と独立を確保するための対処措置の基本理念、国・地方公共団体等の責務、国民の協力その他の基本となる事項を定めた。これに関連して、安全保障会議設置法、自衛隊法も改正し、戦後初の有事法制となった。北朝鮮の不審船事件、米国の同時多発テロ事件を受けて、従来はタブーとされてきた有事法制整備への理解が広がったことが背景にある。

1862年(旧暦:文久2年5月9日) 江戸幕府遣欧使節の正使竹内下野守(保徳)らがラッセル英外相とロンドン覚書に調印。その内容は、新潟と兵庫の開港、江戸と大坂の開市を1863年1月1日から5年間延期するとの取り決め。幕府は58(安政5)年、米、蘭、露、英、仏の5カ国とそれぞれ修好通商条約と結んだが、勅許を得ずに行われたため、京都朝廷の攘夷派公家らが反発。開港開市ができなくなり、遣欧使節を送り、欧米各国の理解を得た。しかし65(慶応元)年、英仏蘭連合三カ国艦隊が、将軍徳川家茂の上洛中を狙い、京都に近い兵庫沖に来航して修好通商条約の実行を要求。孝明天皇が勅許した。

1941(昭和16)年 北海道雄武町で幌内ダム決壊事故発生、60人が死亡。発電用のダムとして建設されたが、運用開始直前に集中豪雨が発生。上流の幌内川から大量の流木が押し寄せ、放水用ゲートをふさいだ。ダムは水圧に耐え切れず決壊。ダム湖の水は濁流となって下流の雄武町幌内集落を襲い、60人死亡の大惨事となった。ダムは終戦後の53年に再建されたが、73年3月に発電を停止し、砂防ダムとして残された。

1961(昭和36)年 山岸一雄さん(1934~2015)が「東池袋大勝軒」を開業。同店の「特製もりそば」は、つけ麺のルーツといわれる。周囲に商店もないさびれた場所だったが、入店を待つ長い行列ができる人気店になった。2007年、再開発計画による立ち退きのため、閉店。08年、旧店舗の近くに新店舗・東池袋「大勝軒」本店として弟子が店長となり復活開業した。