ドイツの工業力が生んだ「狂気」の自動車デザイン ゲルマン魂が光る奇妙なクルマ 30選 前編

AI要約

ドイツの自動車デザイナーは奇抜なデザインを送り出してきた。初期のデザインからビートルの誕生、そして不遇な車両まで振り返る。

自動車デザインの先駆者バレニーの貢献や、シュレールワーゲンの空力研究、そしてF125の試作車に至るまでの歴史。

デザインの逸脱と革新がもたらす様々な挑戦や持続性の追及に注目。

ドイツの工業力が生んだ「狂気」の自動車デザイン ゲルマン魂が光る奇妙なクルマ 30選 前編

ドイツの自動車デザイナーはしばしば、あえて常識から逸脱し、奇抜なデザインを世に送り出してきた。

美しくエキセントリックなフォルムから不思議なキャラクターラインまで、風変わりなドイツ車のデザインを振り返ってみよう。

多くの人は、フェルディナント・ポルシェがビートルの考案者だと思っているが、厳密にはそれは間違いである。ポルシェが昆虫をモチーフにした最初のスケッチを発表する5年前に、工学者で発明家のベラ・バレニーはオリジナルのデザインを考案したのだ。

バレニーは初期の自動車設計で数々の貢献をしており、中でも人命を救う「クランプル・ゾーン」のアイデアと「変形しない乗用車用セル」については、彼に感謝しなければならない。

時の独裁者アドルフ・ヒトラーはポルシェに対し、時速100kmで大人2人と子供3人を輸送でき、バイクよりも安価なフォルクスワーゲン(国民車)の開発を命じた。ビートルの独特のフォルムは、後に象徴的なものとなり、2003年まで生産された。

エリア51が興味を持ちそうなデザインだが、シュレールワーゲン(Schlorwagen)は空力研究所のエンジニア、カール・シュラーの構想によるものだ。メルセデス・ベンツ170Hのシャシーを使い、実際に走行可能な車両が1台だけ作られた。アルミニウム製の車体は、1938年にオペル・ブリッツをベースにした「エアロ」バスでも知られるルーデヴィッヒ兄弟が製作した。

シュレールワーゲンは、空気抵抗係数(Cd値)がわずか0.186で、最高速度は170Hよりわずかに速い135km/hを達成した。ベルリン・モーターショーで公開されたが、世間からは不細工というレッテルを貼られ、その後、第二次世界大戦のためにお蔵入りとなった。

F125は修理工であるパウル・クラインシュニットガーの作品である。戦後、彼はリサイクル金属、自転車の車輪、古い飛行機の部品を使って試作車を作った。1949年には完成し、墜落した戦闘機の風防が取り付けられた。ドイツの実業家がそのデザインに魅力を感じ、小さな工場に資金提供した。

しかし、F125の試作車は大きさが足りず、再設計を余儀なくされた。初期の生産では、コスト削減のため、アルミ製のボディは陸軍の余剰調理鍋を平らに叩いて作られた。