客室の数は半減…でも利益率がアップ 「あんこうの宿」3代目は商品開発力で多角化を加速

AI要約

武子能久さんは、茨城県北茨城市にあるまるみつ旅館の3代目社長であり、アンコウを軸とした多角経営で危機を乗り越えた。コロナ禍を機に宿泊規模を縮小し、アンコウ商品の通販や輸出を増やすなどして利益率を高めている。

まるみつ旅館は、1958年に創業され、アンコウ料理に特化した宿として知られる。武子さんは幼少期から旅館で育ち、自然に親しんできた。

2011年の東日本大震災で被害を受けたまるみつ旅館だが、武子さんは多角化を図り、新たな事業展開を行いながら経営を立て直した。

客室の数は半減…でも利益率がアップ 「あんこうの宿」3代目は商品開発力で多角化を加速

 茨城県北茨城市の「まるみつ旅館」3代目社長・武子能久さん(48)は、茨城名産のアンコウを軸にした多角経営で、東日本大震災とコロナ禍で「宿泊客ゼロ」の危機を乗り越えました。「あんこうの宿」を掲げつつ研究所を作り、「あん肝ラーメン」や、アンコウから抽出したコラーゲンを使った入浴剤、産学連携による肝油の開発などに事業を広げています。コロナ禍を機に宿泊規模を半分に縮小し、アンコウ商品の通販や輸出を増やすというモデルチェンジで利益率を高めました。

 まるみつ旅館は1958年、アンコウの卸仲買を手がけていた武子さんの祖父が、北茨城市にある平潟港の民宿1号店として創業しました。当初は夏の海水浴客が対象でしたが、冬の集客に苦心する中で郷土食のアンコウ料理に着目。「あんこうの宿」の原点となりました。現在は年間2千組の宿泊客が訪れます。

 「生まれた時からアンコウを見ています」と話す武子さん。幼少期は旅館が遊び場で、大きな風呂やおいしい料理に囲まれて育ちました。

 高校卒業後、通信制の短大で経営学を学びながら、トヨタ自動車系のディーラーに就職しました。そのころ、後を継ぐという明確な意識はありませんでしたが、「将来何があっても対応できるように」と、調理師免許や一級船舶免許を取得。ディーラーでも2年間の営業経験を積みました。

 そして実家に帰省した時、旅館で忙しく働く家族の姿に心を打たれます。武子さんは、はじめのうちは部屋で休んでいたものの、自発的に手伝うようになりました。同時に「アンコウの街としてもっとPRできるのではないか」という予感もありました。

 職人肌の父や兄の後押しもあり、2年勤めたディーラーを退社。23歳で家業に入ります。「ディーラーで営業実績を上げていたので、旅館の団体客営業ならもっとうまくできると思ったんです」

 しかし、現実は甘くなく、なかなか団体客をつかめません。「トヨタの看板があったから売れただけだと気づきました。旅館の営業は全然違いました」

 父に同行して営業を学び、地域密着型の営業スタイルを身につけます。「それまでスーツを着て標準語を意識していましたが、むしろ法被を着てなまっているくらいが喜ばれる。学ぶことだらけでした」

 まるみつ旅館は、年商約3億円、従業員数50人規模の中堅旅館でした。武子さんが戻ってからは、部屋の数を八つ増やすなど規模拡大も図り、年商は約3億5千万円まで伸びていきました。

 順調だった経営は、2011年3月の東日本大震災で一変します。福島第一原発事故の影響による風評被害も重なり、開店休業状態に陥ったのです。

 「3カ月はお客様が全くのゼロ。その後も売り上げは前年の3割程度で推移しました」

 廃炉などに関わる原発関係者の宿泊を受け入れてしのいだものの、武子さんは「観光業は外部要因に左右されやすい平和産業だと気づきました」。

 武子さんは経営の多角化を考え始めます。「キャッシュフローの重要性も学びました。半年は無収入でも耐えられる資金を持つことが大切だと」