JAL・ANAの失敗、航空会社の「ホテル経営」はなぜ難しいのか? “放漫経営”と呼ばれた過去を検証する

AI要約

JALとANAがホテル経営に参入した理由と撤退の背景について述べられている。

航空会社とホテル事業のシナジー効果、米国や欧州の航空会社のホテル経営事例、LCCやアジアの航空会社の取り組みについて触れられている。

JALグループとANAグループのホテル事業に関する具体的な展開や例、さらに海外の航空会社のホテル事業についても触れられている。

JAL・ANAの失敗、航空会社の「ホテル経営」はなぜ難しいのか? “放漫経営”と呼ばれた過去を検証する

 JALとANAは1980年代以降、相次いでホテル経営に参入し、国内外に展開を広げた。「ホテル日航」「ANAインターコンチネンタル」などのブランドが現在も残っている。しかし、これらのホテルの運営権はすでにJALやANAの手を離れている。では、なぜJALやANAはホテル経営に乗り出し、最終的に撤退することになったのか。

 航空事業とホテル事業は、昔からシナジー効果(異なる要素や組織が相互に作用し合うことで、単独での効果や成果を上回る効果が生まれること)が高いとされてきた。航空会社の経営には、次の要素が不可欠である。

・緊急時の避難計画など、安全性の確保

・定時性の確保

・予約やチェックインなどの運行や、地上・機内サービスに関わる専門技術と情報

・顧客へのホスピタリティスキル

・ブランドや評判の維持

 これらのなかでも、予約に関わる技術・情報、ホスピタリティスキル、ブランドといった要素は、ホテル事業にもある程度応用できる。特に、海外旅行を特別な体験と感じる日本人観光客に対して、ホスピタリティスキルやブランドといったリピート率に影響する要素は、ホテル業界でも有効だとする研究は昔から存在している。

 航空会社の多角化戦略として、ホテル経営は古くから採用されてきた。

 例えば、米国のパンアメリカン航空は1946年にインターコンチネンタルホテルグループを設立し、欧州、アジア、中東、アフリカに同社が運営するホテルを展開。国際線のチケットと一緒に販売してきた。

 また、かつて大西洋線を中心に国際線を運航していたトランス・ワールド航空(2001年運行停止)は1967年にヒルトンインターナショナルを、ユナイテッド航空は1970年にウエスタンインターナショナルホテルを買収したこともある。

 こうした米国の航空会社は、1980年代中頃までホテルブランドの設立や買収を進め、宿泊と航空券を組み合わせたビジネスモデルを展開していた。

 欧州でも同様の戦略が取られており、エールフランスは1972年に「メリディアンホテル」を立ち上げた。このブランド名は東京にも存在していたため、多くの人になじみがあるだろう。しかし、1970年代後半から航空自由化の影響で、航空会社の経営はスリム化を目指し、ホテル事業は縮小傾向にあった。多くの航空会社がホテルを手放すことになった。

 一方で、航空自由化で拡大した格安航空会社(LCC)のなかには、ホテル経営に乗り出す企業も存在する。欧州のイージージェットが展開する「イージーホテル(easyHotel)」や、マレーシアのエアアジアのグループ会社「チューンホテルズ(Tune Hotels)」がその代表例だ。

 アジアでも、各地の航空会社がホテル事業に進出しており、特に経済規模が世界有数の日本や中国では、高級ホテルの買収などで注目を集める航空会社発祥のホテルチェーンが誕生している。

 JALグループは1970(昭和45)年にホテル事業の子会社(日本航空開発、後のJALホテルズ)を設立し、本格的にホテル業に参入した。JALホテルグループは日本国内にとどまらず、欧米やアジアにも展開し、ニューヨークの高級ホテル「エセックスハウス」を買収するなどの攻勢を見せた。

 一方、ANAグループもJALに遅れること3年の1973年にホテル事業を手がける子会社を設立し、1986年からは国際線展開に合わせてワシントンDC、シドニー、シンガポール、ハワイ、ウィーンなどに展開した。

 中国の海南航空の親会社である海航集団は、2000年代から2010年代前半にかけて多くのホテルを傘下に持ち、一時は米国の大手ホテルチェーンであるラディソン・ホールディングスを子会社にするほどの規模を誇っていた。