「勘頼りだった」経営をデータドリブンに 老舗フルーツ店4代目が加速させる攻めの販促

AI要約

1924年に創業した青木商店は、バナナ問屋からフルーツショップ、ジュース、タルト&カフェの3事業を展開し、全国に約200店舗を持つまでに成長した。

4代目社長の青木大輔さんは、フルーツタルト店を撤退させた過去やコロナ禍を経て、DXや広報力の強化を図り、次の100年に向けたプランを練っている。

過去から現在に至るまでの経営変遷を振り返りながら、青木商店の歴史と青木大輔さんの若き経営者としての挑戦を紹介する。

「勘頼りだった」経営をデータドリブンに 老舗フルーツ店4代目が加速させる攻めの販促

 2024年に創業100年を迎えた青木商店(福島県郡山市)は、フルーツショップ、フルーツジュース、フルーツタルト&カフェの3事業を柱に、「フルーツバー果汁工房果琳」などを全国に約200店舗を展開しています。創業はバナナ問屋でしたが、現在では年商100億円を突破するまでに成長しています。2018年に4代目社長になった青木大輔さん(41)は、自身が任されたフルーツタルト店の運営で撤退の憂き目を経験しながらも、出店戦略の見直しで軌道に乗せました。コロナ禍で経営課題が浮き彫りになったのを機に、DXや広報力の強化も加速させて、次の100年に向けた飛躍へのプランを練っています。

 青木商店は1924年、初代・青木松吉さんが郡山駅前で輸入バナナの加工・卸問屋を開業したのがはじまりです。当時、栄養価の高いバナナは希少で、青木商店は大きく需要を伸ばします。

 バナナの消費量増大に伴い、1964年には本社ビルを新設。そのほかのフルーツの取り扱いも充実させ、専門小売業としての地位を確立しました。

 1983年、長男として生まれた青木さん。子どものころは郡山駅前の店の2階が自宅で、商売が日常に溶け込んでいました。「食卓を囲めば父や母、祖父母が仕事の話をしていて、いま振り返ると経営会議のような場でしたね」

 子ども時代から自然と店を継ぐことを意識したという青木さんは、高校から郡山を離れて寮生活を送り、大学へ進学。その間に、青木商店は卸売業からBtoCビジネスへと転換し拡大していきました。2000年代に入るとギフト中心の販売形態となり、2002年にはフルーツジュース専門店「フルーツバーAOKI」 をオープン。県内百貨店への出店をかわきりに、全国のショッピングモールへ展開していきました。

 「大学生のときに会社が変革期であることを感じましたね。フルーツバーやカフェのオープン時にはよく手伝いに駆り出されていました」

 大学卒業後は、東京・新宿の高級フルーツ店に就職し、3年間みっちりフルーツの品種や産地、熟度の見極め方を体にたたき込みました。