「鬼才ガンディーニのデザイン」が斬新! オークションに登場した“忘れられた名車”イソ「リヴォルタ・レーレ」の挑戦的な生い立ちとは?

AI要約

マルチェロ・ガンディーニが手がけたイタリア車メーカーイソの「リヴォルタ・レーレ」がオークションに出品され、落札価格が低かったことが話題になっている。

ガンディーニは20世紀後半のカーデザイン界で革命をもたらしたデザイナーであり、イタリアンデザインとアメリカンV8を融合させた「リヴォルタ・レーレ」はイソ社の重要なプロジェクトであった。

「リヴォルタ・レーレ」はエレガントな外観と快適な内装、優れたパフォーマンスを兼ね備え、独自の立ち位置を確立していたが、オイルショックと景気後退の影響で生産終了とともにイソ社も幕を閉じてしまった。

「鬼才ガンディーニのデザイン」が斬新! オークションに登場した“忘れられた名車”イソ「リヴォルタ・レーレ」の挑戦的な生い立ちとは?

 惜しくも2024年3月に他界したマルチェロ・ガンディーニ。ランボルギーニ「カウンタック」やランチア「ストラトス」といったスーパーカーから、フィアット「X1/9」などのスポーツカー、そして、ルノー「5(サンク)」やシトロエン「BX」、BMW「5シリーズ」などの実用車まで、多彩なモデルを手がけたことで知られるカーデザイン界の鬼才です。

 そんなガンディーニがベルトーネ在籍時に手がけたイソ「リヴォルタ・レーレ」がオークションに出品され、話題を集めました。

 イソ「リヴォルタ・レーレ」は、1969年の「ニューヨーク国際自動車ショー」でお披露目されたモデル。そのわずか1年前に発表されたランボルギーニ「エスパーダ」を意識した挑戦的なモデルで、驚きだったのはイソ社が「エスパーダ」と同じガンディーニをデザイナーに起用したことでした。

 ガンディーニは20世紀後半のカーデザイン界に革命をもたらした伝説的なデザイナー。1938年生まれのイタリア人で、独学でデザインを学び、その類いまれなる才能で業界に大きな影響を与えました。

 1965年にベルトーネへ入社。チーフデザイナーとして上記した多くの革新的なクルマをデザインしました。さらにガンディーニは、クルマだけでなくヘリコプターや家具、カメラなどのデザインを手がけたことでも知られています。

●イタリアンデザインとアメリカンV8を融合

 ガンディーニが手がけたイソ「リヴォルタ・レーレ」の「レーレ」とは、イソ社のオーナーであるピエール・リヴォルタの妻、ラシェル“レーレ”リヴォルタの名前が由来となっていました。「リヴォルタ・レーレ」はそれだけ、イソ社にとっては大切なプロジェクトであったことがうかがえます。

 そのエクステリアはガンディーニの才能が遺憾なく発揮され、「エスパーダ」同様、美しいものでした。

 長いボンネット、なだらかなルーフライン、短めのトランクリッドが特徴で、同時代のイタリア車の中でもひと際エレガントなたたずまいでした。キャビンは2+2レイアウトとなっており、実用性と美しさ、そして個性が絶妙なバランスに保たれています。

「エスパーダ」はランボルギーニの12気筒エンジンを搭載していましたが、「リヴォルタ・レーレ」はアメリカンV8エンジンを採用していました。当初はシボレー製の5.4リッターV8(最高出力300ps)で、1972年以降はフォード製の5.8リッターV8(同325ps)がおごられていました。

 イソ社はイタリアンデザインに、アメリカンV8の信頼性とパフォーマンスを効率的に融合させることで、独自の立ち位置を確立しようとしていました。

 エンジンを独自開発するのは莫大なコストがかかります。そのため似たような取り組みはデ・トマソでも導入していましたし、逆に内装だけイタリアで仕上げていたキャデラック「エランテ」なんてモデルも存在していました。

「リヴォルタ・レーレ」は0-100km/h加速で約7秒というタイムをマークし、最高速は225km/hを超え、当時のGTカーとして十分な性能を誇りました。しかも、V12エンジン搭載車に比べて、燃費も良好でした。

 シャシーは、既存のイソ「IR300」をベースに改良が加えられたもの。フロントにはダブルウィッシュボーン、リアにはド・ディオン式アクスルを採用し、4輪ディスクブレーキも標準装備されるなど、当時としては最新鋭の足回りがおごられていました。

 インテリアに目を向けてみても、上質なレザーシート、豪華なカーペット、木目パネルなど、高級車にふさわしい仕上がりとなっていました。

 当時としては高級だったエアコンやパワーウインドウといった快適装備も標準で装備され、長距離ドライブも苦にならない居住性を確保していました。ただしリアシートは、非常用もしくは子ども用と割り切った方がよかったようです。

「リヴォルタ・レーレ」は1969年から1974年まで、約285台(そのうち約125台がシボレーエンジン車、約160台がフォードエンジン車)が製造されました。生産台数こそ少なかったものの、「リヴォルタ・レーレ」は確実にイソ社のブランド地位向上に貢献したのです。

 残念ながら、1970年代半ばのオイルショックと景気後退により、イソ社は経営難に陥り、1974年に「リヴォルタ・レーレ」の生産終了と同時に、イソ社そのものも幕を閉じてしまいます。

 そんな歴史を持つ「リヴォルタ・レーレ」、しかも、鬼才ガンディーニがデザインを手がけたモデルながら、クラシックカー市場では“忘れられた”存在のようです。

 2024年6月にイギリス開催されたRMサザビーズのオークションでは、予想落札価格3万~6万ポンドだったのに対し、わずか1万7250ポンドで落札されました。

 今回はランボルギーニ「エスパーダ」の二番煎じっぽいルックスが悪影響を及ぼしたようですが、ガンディーニの作品ゆえ、今後、値上がりしそうな予感が漂っています。