赤いケンメリGT-R【前編】197台。数少ないケンメリGT-Rの中でもっとも希少な赤色ボディ

AI要約

スカイラインの歴史と旧車ファンに人気のハコスカとケンメリについて紹介。

GT-Rの悲運な歴史と希少性、高値での取引について。

車のレースでの活躍から生まれる人気とその後の展開について。

赤いケンメリGT-R【前編】197台。数少ないケンメリGT-Rの中でもっとも希少な赤色ボディ

【ハコスカとケンメリ|1973年式 日産 スカイラインHT 2000 GT-R 前編】

数ある国産車のなかでも圧倒的な支持を得ているスカイライン。

5代目となるジャパンをはじめ、1980年代以降レースで活躍したR30~34、GT-Rが別車種となった35系以降も人気を保ち、現在も新モデルが開発され続けている。

日産自動車としてだけでなく、日本を代表するクルマといえるだろう。

その中でも旧車ファンの中で圧倒的に人気が高いのは3代目スカイラインである「ハコスカ」、そして4代目スカイラインである「ケンメリ」だ。

ハコスカが日本中の若者を夢中にさせた要因はレースでの活躍。プリンスと日産が合併した後に開発、発売されたスカイラインは数多くのレジェンドドライバーの力もあり、圧倒的な力を見せつけてきた。72年9月にC10ハコスカからC110ケンメリへとモデルチェンジ。当然の流れのように73年1月に登場したレース前提のモデルGT-R(KPGC110)は、マツダロータリー勢に押されていたレース成績を挽回する期待もあり、市場で大歓迎されていたはずだった。しかし、わずか4カ月の販売で生産中止。生産台数はわずか197台。期待されたレースへの出場もなく、サーキットへの登場は81年発売のR30スカイラインまで待つことになる。

サーキットでその雄姿を披露することなく、生産が終了した「悲運のGT-R」だったが、その希少性から発売直後から人気が沸騰。当時からほとんど中古車市場にも出回らず、たとえあったとしてもマニアの間で高値で取引されるGT-Rとなった。

初出:ノスタルジックヒーロー 2021年2月号 Vol.203

       (記事中の内容は掲載当時のものを主とし、一部加筆したものです)