「経営戦略」はノルマンディー上陸作戦に学べ〈史上最大のロジスティクス計画に隠されたヒントとは?〉

AI要約

第二次世界大戦でのノルマンディー上陸作戦は重要な転換点であり、経営戦略にも示唆を与える

ノルマンディー上陸作戦は大規模な計画であり、組織の在り方や困難な課題に対処するために様々な要素を考慮した作戦だった

連合軍の機動力と犠牲を払っての成功によって、ヨーロッパ反攻作戦は永遠に記憶される

「経営戦略」はノルマンディー上陸作戦に学べ〈史上最大のロジスティクス計画に隠されたヒントとは?〉

第二次世界大戦において大きな転換点となったノルマンディー上陸作戦。この作戦は経営戦略の観点から見ても、現代人に大きな示唆を与えるものだという。元陸将の山下裕貴氏がその内実に迫った。

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 現在、世界中でスタートアップ企業が最先端技術分野などで目覚しい成長を遂げている。スタートアップの特徴は、革新的なイノベーションの実現、圧倒的な成長力、短期間に成功するための「戦略」である。我が国でも先端半導体分野などでスタートアップ企業が徐々に力を付けてきている。スタートアップ企業だけではない。既存の企業もまた生き残りをかけて様々な分野に挑戦している。これらの企業間の競争は、今後も激しくなるばかりだが、その競争に勝ち残るためにはどのような「戦略」が必要なのか。

 そのヒントを与えてくれるものの一つに、国家の生存をかけた究極のプロジェクトである「戦争計画」がある。「企業戦略」や「経営戦略」の分野で、日常的に「ロジスティクス」という用語が使用されているが、この用語の原義は、軍事用語の「兵站」だ。今からちょうど80年前、史上最大の「大規模兵站計画(ロジスティクス)」が策定・実行された。第二次世界大戦の欧州での戦闘を終結に導いた「ノルマンディー上陸作戦」だ。

 この大規模作戦は、近年、「経営戦略」の観点からも注目され、研究されている。「組織の在り方」「適材適所の人事」「ロジスティクスの重要性」「困難な課題の克服」……など、多岐にわたって事前に緻密に組み上げられ、さらに計画の実行においては「想定外の事態への対処」も迫られた「大事業計画」だったからだ。現代の我々にも多くの教訓を与えてくれている。

 ノルマンディー上陸作戦とは、どのような作戦だったのか。今日の「経営戦略」のヒントにもなり得るエピソードを中心に振り返ってみたい。

 1944年6月4日21時、ロンドンの連合国遠征軍最高司令部では、司令官のアイゼンハワー米陸軍大将以下の各指揮官が集まり、作戦会議が行われた。この日、ドーバー海峡及びフランス北部を暴風雨が襲っていた。気象予報官の報告では、6月5日から7日までの3日間は天候が回復するが、その後は悪天候になる。それ以降、気象条件が良くなるのは7月中旬まで待たなければならない。参加者全員が最高司令官の決断を待っていた。

 アイゼンハワーは目を閉じ、暫く沈黙した後に目を開いて静かにいった。

「私は決断を好まない。しかし、決断しなければならない。では諸君、前に進もう!」

 6月6日午前6時30分、激しい艦砲射撃や空爆の後に、約5000隻の艦船に乗り込んだ米英軍を主力とする約18万人の兵士達がノルマンディー海岸に上陸を開始した。

 海岸は、西からユタ、オマハ、ゴールド、ジュノー、ソードと名付けられ、ユタ海岸には米第4歩兵師団、オマハ海岸には米第1歩兵師団(同師団指揮下の第29歩兵師団を含む)、ゴールド海岸には英第50歩兵師団、ジュノー海岸にはカナダ第3歩兵師団、ソード海岸には英第3歩兵師団が上陸した。

 オマハ海岸に上陸した部隊は、防御するドイツ第352歩兵師団の主防御正面にあたり、米軍兵士はドイツ軍の猛火を浴び次々と斃れた。海岸には戦死者が累々と積み重なり、砂は血により赤く染まり、後に「血染めの海岸」とよばれるようになった。その他の上陸海岸では、小規模なドイツ軍の抵抗や反撃を排除して概ね予定通り上陸を完了し、後続部隊のための橋頭堡を確保した。オマハ海岸も大きな犠牲を出したが、夕方までには海岸地域の確保に成功した。

 上陸作戦開始前夜には、米第82及び第101空挺師団並びに英第6空挺師団の3個師団約2万人による空からの「降下作戦」が行われた。この作戦の目的は、後方地域の橋梁確保、砲台の占領、ドイツ軍増援部隊の阻止などである。同作戦では、降下地域の間違い、広域分散などのミスが発生したが、概ね所期の目的を達成した。

 上陸開始から24時間で連合軍側に発生した戦死傷者の数は、米軍が約6000人、英軍が約3000人、カナダ軍が約1000人であった。一方のドイツ軍側は、はっきりとした数は分からないが、生存者からの聞き取りによれば約4000人から9000人といわれている。

 連合軍のヨーロッパ反攻作戦は「オーバーロード作戦」とよばれ、ノルマンディー上陸作戦の開始日は「Dデイ」として永遠に記憶されることになる。