受けた皮膚がん手術は90回以上…「これが命の扱いとして平等でしょうか」イギリスにも存在する“ヒバクシャ”の訴え【科学が変えた戦争】

AI要約

科学が変えた戦争、その象徴的な兵器は核だ。世界で初めて原爆が投下され、14万人が犠牲となった広島・長崎。イギリスでは人体実験が行われた。

天才科学者の理論から生まれた原子爆弾が広島に投下され、凄惨な被害をもたらした。被爆者の証言は、戦争の恐ろしさを伝える。

核兵器の開発と使用は世界中に犠牲をもたらし、イギリスもその影響を受けた。戦後もヒバクシャたちの苦しみは続いている。

受けた皮膚がん手術は90回以上…「これが命の扱いとして平等でしょうか」イギリスにも存在する“ヒバクシャ”の訴え【科学が変えた戦争】

科学が変えた戦争、その象徴的な兵器は核だ。

世界で初めて原爆が投下され、推計14万人が犠牲となった広島。長崎では推計7万人以上が犠牲となった。

一方、アメリカ・ソ連に次ぐ核保有国となったイギリスでは、開発の過程で「人体実験」ともいえるようなことが行われていた。

■天才科学者の理論が後にもたらした「大量の犠牲」

1905年、物理学者のアインシュタインが発表した「相対性理論」。

40年後、他の科学者たちが、その核分裂反応のエネルギーを利用し、原子爆弾を開発。1945年8月6日、世界で初めて広島に投下された。

広島市の「原爆被爆者 動態調査事業報告書」によると、6日のうちに、5万人以上が亡くなったという。

その凄惨な光景が、目に焼きついた人がいる。

話を聞いたのは、八木義彦さん(90)。八木さんは11歳の時、爆心地からわずか1.5キロに位置する国民学校の校舎で被爆した。

「ピカッと光ったのはわかりました。光ったら、もう潰れてるから。2階の屋根がもう1階くらいに潰れてました。それでそこから校庭に出て、校庭の中にはもう息をしている子どもはほとんどいない、丸焼けですよね。一瞬ですよ、瞬きする間です」と八木さんは証言する。

九死に一生を得た八木さんは、家族の安否を確かめるため、自宅に向かったが…

八木さん

「家に戻ったら燃えていました。ほとんどの家が火がついていた。痕跡は何にもない。家族5人とも何もない。骨のひとかけらもない」

爆心地から2キロ以内は、ほぼ全焼。八木さんの家もまた、激しい炎で焼き尽くされた。

広島の原爆で命を落とした人は、1945年末までに、推計14万人にも上る。

■”ヒバクシャ”はイギリスにも…生涯続く苦しみ

たった一発で、多くの犠牲者を生む核兵器。戦後、世界はその開発に突き進む。

1949年には、ソ連が原子爆弾の実験に成功。その3年後、アメリカが水爆の開発に成功した。

米ソの核開発が過熱するなか、3番目に核保有国となったのがイギリスだ。イギリスは、原爆に続き、水爆の実験にも突き進んだ。