セーヌ川の名前の由来「女神セクアナ」とはどんな神様なのか、源流域に2000年超前の神殿跡

AI要約

セーヌ川は、フランスのシャンソン歌手、エディット・ピアフが歌うようにパリの象徴的な地域であり、ガロ・ローマ時代にセクアナという女神に捧げられていた。

19世紀の発掘調査でセーヌ川の源流近くからセクアナに捧げられた彫刻や供物が発見され、彼らが体の部位や動物をかたどった儀式の一端を示している。

セクアナは限定された地域で信仰されていた神であったが、セーヌ川の経済的重要性から彼女の影響は広がり、遠方にも及んでいる。

セーヌ川の名前の由来「女神セクアナ」とはどんな神様なのか、源流域に2000年超前の神殿跡

 セーヌ川というとノートルダム大聖堂、ルーブル美術館、そしてエッフェル塔の下で橋をくぐりながら進む遊覧船を思い浮かべかもしれない。「パリの空の下、セーヌは流れる」と、フランスのシャンソン歌手、エディット・ピアフは歌っている。

 セーヌ川が国際的な知名度を獲得したのはハリウッドの大ヒット映画や流行歌によるところが大きい。しかし「セーヌ」の名の由来が、ガリア(現在のフランス)が帝政ローマの支配下にあったガロ・ローマ時代の女神にあることを知る人は少ないだろう。その名は、セクアナ。本来はケルト神話に登場する癒しの神だが、1世紀にガリアが帝政ローマに征服された後も一部で崇拝し続けられた。

 腕や骨盤、内臓などをかたどった彫刻類。これらは19世紀、考古学者がブルゴーニュ地方にあるセーヌ川の源流近くでガロ・ローマ時代の神殿跡を発見した際に見つかったものだ。1836年から1967年まで行われた発掘調査で出土した石製、青銅製、木製の像は1500点余り。巡礼者がセクアナに捧げた供物だ。像がかたどっているのは、傷や病に侵された体の部位だと考えられている。

「足首の部分に海綿(スポンジ)を付けた木製の足の供物が1点ありました。今日、私たちがシャワーを浴びる時に使うスポンジと何ら変わりはありません」と、神殿跡から出土した遺物が保管されているディジョン考古学博物館の学芸員であるフランク・オベール氏は言う。紀元前40年ごろのもので、じめじめとした湿地で2000年以上も腐らずに残っていた非常にまれなケースだという。

 フランスでは珍しい石製の手の彫像で、あぶみの形をし、丸い果物を持っているものもある。さらに、子犬を抱えた子どもたちの像は動物を生贄(いけにえ)にささげる儀式の行列を表しているのだろうと、オベール氏は考えている(古代ローマではこうした儀式を習慣的に行っていた)。

 セクアナに捧げられた銘刻も複数、残っている。その1つが、ルーファスという人物が300枚のコイン、120体の供物、4個の金の指輪を入れて奉納した壺だ。ただし、セーヌ川の水源地以外の場所でセクアナに関連するものが見つかった例は今のところない。

 限定された地域で信仰されてきた神でありながら、セクアナの影響は離れた地域にも及んでいる。「セクアナが地域を越えて知られるようになったのは、セーヌ川が経済的に重要であったためでしょう」と、考古学者のシルビー・ロビン氏はパリで開催中のシテ島地下納骨堂展のカタログに書いている。