パリ五輪はなぜセーヌ川にそこまでこだわるのか、歴史をひもといてみたらわかったこと

AI要約

パリ五輪の開会式は、スタジアムではなくセーヌ川で行われ、セーヌ川の重要性が再確認された。

セーヌ川はパリの中心的存在であり、歴史的建造物や文化に深く関わる存在だ。

セーヌ川沿いに定住が始まった新石器時代の遺跡が発見され、セーヌ川の重要性が浮き彫りにされた。

パリ五輪はなぜセーヌ川にそこまでこだわるのか、歴史をひもといてみたらわかったこと

 パリ五輪の開会式は伝統に反して、スタジアムではなくセーヌ川でおこなわれた。国別の行進では、参加選手たちを乗せたボートが、セーヌ川沿いに集まった30万人を超える観客のそばを進んだ。セーヌ川を泳ぐ競技もあった。なぜパリ五輪はそこまでセーヌ川にこだわるのか。その答えは、パリの歴史を知ればわかるかもしれない。

 神話と記憶に彩られたセーヌ川は、その岸辺に生まれた街の活力源だ。ナポレオンが「メインストリート」と呼んだセーヌ川沿いには、写真映えするパリの歴史的建造物が誇らしげに立ち並び、壮大さと威厳を醸し出している。

 セーヌ川はパリの中心的存在であるため、建物の番号がセーヌ川と結びついている。垂直の通りではセーヌ川に最も近い場所から番号がつけられ、平行の通りではセーヌ川の流れの方向に向かって番号が上がっていく。

「パリ市民にとって、セーヌ川には歴史的かつ本能的な強い愛着があります」とスポーツ、オリンピック・パラリンピック、セーヌ川を担当するピエール・ラバダン副市長は言う。

 フランス、ブルゴーニュ地方を源流とするセーヌ川は、約780キロメートル流れてル・アーブルの海に到達する。首都パリはそのほぼ中央にある。

 セーヌ川のパリ周辺の地形は時と共に変わり、流路も絶え間ない洪水によって変わってきた。最終的に、枝分かれした流路は現在の蛇行した流れに統合された。

 パリのラテン語のモットー「たゆたえども沈まず(Fluctuat nec mergitur)」は、こうした歴史的な洪水と、洪水に対するパリの回復力を想起させる。パリの紋章には帆をいっぱいに張った船が描かれている。

 パリ、ベルシー地区のセーヌの河岸近くで、最初に人類がパリに定住した証拠が発見された。1991年から1992年にかけてベルシーの考古学的遺跡で発掘された新石器時代の遺跡だ。

「セーヌ川の運河沿いに位置するこの村は、洪水が運んだ堆積物の層の下でよく保存されていました」と、パリ、カルナバレ博物館の考古学主任学芸員であるシルビィ・ロビン氏は言う。「私たちは、柵や橋、ヨーロッパの中で最も保存状態の良いものの一つである狩猟の弓、さらに川岸に置かれた丸木舟を発見しました」

 現在全長約4.8メートル以上あるこの丸木舟は、一本のオークの幹から彫られたものだ。専門家たちは、ベルシー近辺には生えていない木を調達することをはじめ、多大な労力が必要だったと考えている。ロビン氏は、このような丸木舟は生涯にわたって使えた貴重な財産だと言う。