「キノコ雲が誇り」の町が背負う、矛盾と痛み。「オッペンハイマー」以降の世界で、暴力の歴史とどう生きるのか

AI要約

リッチランド高校のフットボールチームのトレードマークは、キノコ雲と、原爆投下に使われたB29爆撃機だ リッチランドは、1945年に長崎に投下された原爆の材料であるプルトニウムの生産拠点となったアメリカ・ワシントン州の町で、ハンフォード・サイトのあるベッドタウン

その町を描いたドキュメンタリー映画「リッチランド」が、アメリカの核兵器開発の歴史と現代の住民の複雑な感情、放射線被害に焦点を当てている, 監督は核開発がもたらす矛盾を探求

映画では、リッチランドの人々の意見の幅広さや核兵器開発への誇りと矛盾、放射線被害への闘いなどが浮かび上がっている

「キノコ雲が誇り」の町が背負う、矛盾と痛み。「オッペンハイマー」以降の世界で、暴力の歴史とどう生きるのか

リッチランド高校のフットボールチームのトレードマークは、キノコ雲と、原爆投下に使われたB29爆撃機だ【関連記事】原爆を作った「オッペンハイマー」の苦悩は、被害者より優先されるべきなのか。倫理学者が抱く危機感

高校の校章は、原爆を象徴するキノコ雲。町の通りは「Nuclear(核)」と名付けられ、ある住民はキノコ雲は「わが町の誇りだ」と語るーー。

その町の名は「リッチランド」。1945年に長崎に投下された原爆の材料であるプルトニウムの生産拠点となったアメリカ・ワシントン州の核施設「ハンフォード・サイト」で働く人と、その家族が住むために作られたベッドタウンだ。

その町で暮らす人々に話を聞いたドキュメンタリー映画「リッチランド」が、7月6日から日本で公開されている。

クリストファー・ノーラン監督の「オッペンハイマー」が、原爆開発を率いた科学者や軍人中心の映画だとするならば、本作は「オッペンハイマー」以降の、核兵器が存在する世界で生きる市民たちを描いたドキュメンタリーだ。

アメリカでは不可視化されている、核開発により引き起こされた放射線被ばくによる健康被害に光を当てるとともに、暴力の歴史を背負う町で生きる人々の複雑な感情を浮き彫りにし、その背景にある保守的思想と「愛国心」の関係にまで迫った。アイリーン・ルスティック監督に話を聞いた。(取材・文=若田悠希/ハフポスト日本版)

ハンフォードは、アメリカが第2次世界大戦中に原爆を開発した「マンハッタン計画」の拠点の一つ。古くからワナパム族など6つの先住民族の居住地だったが、核施設建設のために、土地を強制的に奪われた。

原爆の材料となるプルトニウムが生産され、終戦後も、旧ソ連との冷戦を背景に核兵器の開発は加速した。1987年に施設の稼働が停止したが、今も放射性廃棄物が貯蔵され、周辺には、放射性物質による深刻な健康被害や環境汚染が残っている。

リッチランドは原子力産業によって発展し、現在も住民の多くがハンフォードの浄化にかかわる仕事をしている。

原爆という多くの犠牲者を生んだ大量破壊兵器を生産した歴史を背負う町にもかかわらず、映画の序盤に登場する住民たちは「キノコ雲は殺しのシンボルじゃない。この町の業績だ」「この町は社会実験とも言える。しかも成功に終わった例」と、誇らしげに話す。

ルスティック監督はインタビューで本作について「この町を批判したくて撮ったわけではない」とし、こう続けた。

「核兵器を生んだ歴史を誇る人々の語りは、この町の自画像そのものと言えるでしょう。しかし、だんだんと進むにつれ、この町の矛盾や複雑さ、実際に放射能汚染による健康被害があったことが炙り出されていきます。

このような構成にしたのは、リッチランドがどういう町なのかを深く知ってもらうため、観客を誘導していく必要があったから。そして、『原爆投下により戦争が終わった』『我々は偉大な貢献をした』と信じる、リッチランドの人々にも観てもらいたかったからです」

監督の言葉通り、作品が進むにつれ、核兵器の開発により居住地や信仰の拠り所を奪われた先住民、健康被害を訴える住民、広島の被ばく者の子孫、そしてキノコ雲の校章に反対するリッチランド高校の学生たちが出てくる。

それと同時に、原爆を「町の功績」だと肯定する人々を糾弾するような撮り方も決してしない。誰に対しても平等にカメラを向けたのは、なぜだろうか。

「私が何よりも重要視したのは『傾聴』であり、どんな人に対しても尊厳を損なうことなく表象したいと思いました。この映画の目的は、自らの国の暴力の歴史、痛みを伴う歴史に、人々はどう向き合い、受け入れ、ともに生きていくのかを思考するために、すべての人々の物語を傾聴し、それをシェアしていくという、一種の政治的な実践です」