ロジャー・フェデラー「引退は自分の葬式に出ているようなものだった」

AI要約

引退したテニスプレーヤー、ロジャー・フェデラーが引退後の感情やリハビリプロセスについて語った。引退に対する複雑な感情やプロセス、最後のダブルス試合の準備について述べている。

フェデラーはリハビリプロセスを楽しむことができ、常に楽天的であった。競技には戻れないと感じるようになった瞬間やトップ選手としてプレーできないと感じた時に引退を決断したことも語っている。

フェデラーは引退に向けての感情や心境の変化、リハビリプロセス、最後のプレーに対する思いなどを率直に語っている。

ロジャー・フェデラー「引退は自分の葬式に出ているようなものだった」

グランドスラム優勝回数20回を誇るレジェンド、ロジャー・フェデラー(42)は、まったく異なるミッションに取り掛かるべく、2年前に競技を離れた──良き父、良き夫になるため、そしてシンプルに人生を楽しむために。引退決断の直後も、最後の日々も、決して簡単ではなかった。ドキュメンタリー映画『フェデラー ~最後の12日間~』が公開されたフェデラーに、スペイン「エル・パイス」紙がインタビューした。

──友人のセヴェリン・ルティはこう言っています。スポーツ選手は引退で「2度死ぬ」と。あなたも同じ意見ですか?

信じられないような感覚なんだ。まるで自分自身の葬儀に出ているみたいな。自分は完全に冴えていて、起きていることすべてを、ものすごくピンぼけのスローモーションで経験しているんだ。

セヴェリンの言葉はきつく聞こえるかもしれないけれど、まだ引退していないスポーツ選手たちには、それが真に意味するところはわからないと思う。どんな感じかは、乗り切ってみて初めてわかる。キャリアの終わりにこんなにたくさんの経験をすることになるなんて、僕自身思ってもいなかった。

──もっと違うものになると想像していたのですか?

たぶんマイクを手に、注目の的になってそのときを迎えるだろうとは考えていた。そう予想していたけど、実際はそれを遥かに超えていた。だからこそ、僕は僕自身や僕のチーム、そしてみんなを説得したんだ。この映像を見てもらうことには価値があるかもしれないと。

引退というのはとても個人的なことだ。スポーツであってもそうでなくても、僕ら一人ひとりのキャリアや人生において、大切なひとときとして刻まれる。だから、僕が最後の日々をどう過ごしたか、その過程を見てみんなが気に入ってくれることを望んでいるよ。

──あなたほどの偉大な選手にとって、「そのときがきた」と受け入れるのは、どれほど辛いものなのでしょう?

実際、それはさまざまな感覚が合わさったものだった。もちろん、悲しいよ。それが近づいていて、避けられないと知っているから。でも結局のところ、僕たちの誰もが、どこかの時点で終わりがくることを知っていて、できる限り気持ちのいいやり方でそれに立ち向かおうとする。

苦悩のプロセスだけじゃなく、きっと素敵なものになると信じる。それは僕のキャリアにおける幸せな日々になるはずだ、悲しいことじゃない、と自分を納得させようとした。そしてこのドキュメンタリーは、そのことをとてもよく映し出していると思う。僕はこの作品を「はい、みなさんさようなら」以上のものにしたかったんだ。

──コート上でお別れの挨拶ができるように、大変な努力をしたのではないですか?

ここ数年ずっと、僕は感情的に押し潰された状態で過ごしてきた。それまでスポーツが僕にとってどれだけ大切であるか、家族に対する愛、ファンに対する愛をこれまで示してきたし、 あの場で改めて感謝を示したかった。

どれくらいの期間かわからないけど、1年かそれ以上、あの最後のダブルスの試合 (ロンドンO2アリーナで開催されたレイヴァーカップでラファエル・ナダルと組んだ)のために努力した。クレイジーだったよ。だから、すべてを考慮すれば、終わりは美しいものだったと思う。僕は、多くの瞬間を楽しんだ。

──2016年に半月板が断裂し、手術を受けましたね。その後2021年に、2度目の関節鏡手術を受けました。この最後の快復プロセスはどのようなものでしたか?

正直なところ、それほど辛くはなかった。理学療法とリハビリに通う過程はとても気に入ったよ。毎日やることがあり、自分が快復していくのを見ることができる。そのすべてがモチベーションを保つには充分だった。

物事が良くも悪くもならないときさえ、自分にこう言い聞かせた──「オーケー、こいつを解決しよう」って。それに、あれは良い挑戦だった。僕はいつも楽天的な人間なんだ。悪い時期も、僕にとっては問題じゃなかった。

──もう競技に戻れないだろうと気づいたのはいつですか?

手術の翌日、もう一度歩いてみようとして、まるで赤ん坊に戻ったみたいに数歩踏み出すんだけど、もうそれだけで快復が想像できる。もちろん、走ったり飛び跳ねたりプレーしたりできるようになるまでは、まだとても長い道のりなんだけど、同時にそのときがどんどん近づいていると思うんだ。

真に辛い瞬間は、最後にやってくる。頂上まで最後の登りが残っていると気づき、それが実現しそうにないとわかるんだ。

でも同時に、僕はほっとしてもいた。痛みや、100パーセントの状態でいることや、群衆の前でプレーしなければならないことから生まれるあらゆる感情を、また経験しなくてよかったから。トップ選手たちと競えるように100パーセントの状態でいるのは不可能だと感じたときに、僕はやめようと決めたよ。