日本が破墓した大伽耶「黄金の龍頭」王陵…1500年を経て世に公開

AI要約

約1500年前の大伽耶の支配者の墓から黄金の刀が発見される

日帝強占期に環頭大刀を盗掘に近い発掘が行われる

池山洞5号墳の再発掘調査が行われ、大伽耶史の研究が進展する

日本が破墓した大伽耶「黄金の龍頭」王陵…1500年を経て世に公開

 約1500年前の大伽耶の支配者の墓の中から黄金の刀があらわれた。純金の塊を加工して作った輪の柄の中に口から炎を吹き出す純金製の龍頭のレリーフを入れたものを付けた大きな刃だった。

 いわゆる「環頭大刀」と称される大伽耶の宝物の刃を発見したのは、日帝の御用考古学者だ。85年前の1939年、朝鮮総督府の命令を受けて慶尚北道高霊郡池山洞(コリョングン・チサンドン)の大伽耶古墳群の現場に調査員として急派された有光教一と斎藤忠だった。二人は山稜線に点在する古墳のなかから頂上にある5号墳を指定し、ただちに墳丘墓を掘り始めた。5号墳は直径が約45メートル、高さ11.9メートルに達する巨大な墓で、慶尚道と全羅道の大伽耶の古墳のなかでは最大だった。

 現況把握のための略式発掘だったが、黄金に輝く環頭大刀をはじめ、怪獣模様の腰帯、龍の像で彩られた金銅の矢筒、頑強な大伽耶の土器の壺などが墓の内部の部屋から数多く出土した。

 王陵級の遺跡であることは明らかだったが、二人は正式な発掘報告書を提出しなかった。ごく簡略な調査記録と一部の出土品の写真だけを残したまま、発掘の穴を埋めて去っていった。6年後に解放(日本の敗戦)が訪れたが、5号墳の発掘は世間の記憶から忘れ去られた。

 伽耶時代の古墳のなかで最大の墓である高霊池山洞5号墳は、このように日帝強占期(日本による植民地時代)に盗掘に近い発掘で終わる悲運を経た。そのため、解放後に伽耶史を研究する考古歴史学者の間では、伽耶の古墳を代表する5号墳の完全な再発掘調査は悲願として残ることになる。

 今年、ついにその念願がかなうことになった。国立慶州文化遺産研究所と高霊郡は昨年、ユネスコの世界遺産リストに加えられた伽耶古墳群の一部である池山洞5号墳について再調査の業務協約を結んだと12日に発表した。

 山稜線に存在するのが特徴である池山洞古墳群は、前世紀の日帝強占期の頃から注目された大伽耶の支配層の大規模な墳丘墓群だ。

 大伽耶は5~6世紀に慶尚北道と慶尚南道の北部一帯で栄えた伽耶の地域強国だった。3~4世紀に伽耶圏を主導した金官伽耶を押しのけ、伽耶時代後期に盟主の役割を果たした。池山洞古墳群は全盛期の大伽耶の地位を端的に示す歴史遺跡だといえる。

 特に1970年代には、5号墳の下の44号墳や45号墳などを発掘したところ、地位の低い者を犠牲にして埋葬する殉葬の跡がある大伽耶支配者の墓の構造が明らかになり、多数の鎧、兜、刃、装飾品、土器などが確認され、国民的な関心を集めた。さらに2017~2018年には、古墳群の中小型の墳墓74基に対する後続調査によって、金銅冠、鎧、刃、殉葬と推定される人骨などの遺物1000点あまりを確認する成果を上げたりもした。

 池山洞の山のふもとと稜線には、封土墓700基あまりを含む1万基を超える古墳が点在していると推算されるが、5号墳はこの古墳のなかで最も高い地位にある中核的な墳墓とされる。朝鮮時代に発行された地図書『新増 東国輿地勝覧』には「錦林王陵」と記録されている。錦林王は大伽耶または伴跛国の王と推定されている。他の歴史書には登場せず、唯一『新増 東国輿地勝覧』にだけ登場する謎の君主だ。

 研究所側は、再発掘の調査期間をひとまず3年ほどと考えている。2026年まで封土と墓の被葬者の遺体と副葬品を埋めた埋葬主体部、墓の周辺部に対する精密な発掘調査を進めることにした。これをもとに、2028年までに調査内容と出土遺物を収録した発掘調査報告書を発刊する計画だ。

 ファン・インホ所長は「発掘調査とともに、墓の土木工学的な構造と各種の有機物などを分析する作業も進める予定」で、「関連の記録が少なくベールに包まれている大伽耶の古墳築造技術と埋葬儀礼なども明らかにできると期待される」と述べた。

ノ・ヒョンソク記者 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )