# 戦時

多くの犠牲者を出した疎開船「対馬丸」沈没から80年 宇検村で慰霊祭 鹿児島
2024.08.24

多くの犠牲者を出した疎開船「対馬丸」沈没から80年 宇検村で慰霊祭 鹿児島

 太平洋戦争中に十島村の悪石島の沖合でアメリカの潜水艦に撃沈された疎開船「対馬丸」の犠牲者の慰霊祭が宇検村で行われました。 約80年前の1944年8月22日、沖縄から長崎へ向かっていた疎開船「対馬丸」が、悪石島の沖合でアメリカの潜水艦の攻撃を受けて沈没し、800人近くの子どもたち

岩手出身の元タカラジェンヌ 原爆に散った女優・園井恵子忌【岩手・盛岡市】
2024.08.21

岩手出身の元タカラジェンヌ 原爆に散った女優・園井恵子忌【岩手・盛岡市】

岩手出身の元タカラジェンヌで戦時中、広島で被爆し命を落とした女性がいます。命日の21日、その法要が営まれました。盛岡市・恩流寺の墓に1人の女性が眠っています。岩手出身の園井恵子さん。宝塚で数々の舞台を踏み、退団後は映画に出演するなど活躍します。

空襲地獄、出撃した特攻機 戦争の愚かさ、短歌で詠む98歳
2024.08.20

空襲地獄、出撃した特攻機 戦争の愚かさ、短歌で詠む98歳

 <敗戦の悲しき午後の蟬(せみ)しぐれ幾年(いくとせ)経ても涙かわかじ> 鹿児島県南さつま市の吉峯睦子さん(98)は戦時中、軍需工場に動員され、空襲では自宅が火に包まれて死を覚悟した。特攻隊員たちの出撃基地となった地で戦後を生き、平和を願う思いを短歌に託してきた。終戦から79年。

「戦争は始めると終わることが出来ないんだと分かる場所…」旧海軍が海なし県・信州に造った地下壕…当時の村長の日記の解読とともに地域の歴史を語り継ぐ住民の活動に迫る
2024.08.19

「戦争は始めると終わることが出来ないんだと分かる場所…」旧海軍が海なし県・信州に造った地下壕…当時の村長の日記の解読とともに地域の歴史を語り継ぐ住民の活動に迫る

長野市安茂里に残された旧日本海軍の地下壕と、戦時中、村長だった男性の日記をもとに地域の歴史を受け継ごうとしている活動を取材しました。79年前、長野市安茂里で何が起きていたのか。地域の人たちの調査で少しずつ分かってきたことがありました。「黙とう」

ソ連兵にだまされた。連行された収容所はマイナス40度の世界。死体を埋める墓穴を掘ろうにも、凍土は硬く1センチも削れなかった【証言 語り継ぐ戦争】
2024.08.18

ソ連兵にだまされた。連行された収容所はマイナス40度の世界。死体を埋める墓穴を掘ろうにも、凍土は硬く1センチも削れなかった【証言 語り継ぐ戦争】

■大久保利成さん(99)鹿児島県伊佐市大口里 1945(昭和20)年9月1日、平壌の演習場に全員が集められた。10日ぐらいすると、周囲の丘にソ連兵の歩哨が見え、捕虜になったと実感した。10月初め、日本海に面した元山港捕虜収容所に移動した。 11月中旬にソ連兵通訳から

空襲警報で避難「命がけ」の公演 『幻の雑誌』戦時下アイドルの“笑顔と言葉”
2024.08.18

空襲警報で避難「命がけ」の公演 『幻の雑誌』戦時下アイドルの“笑顔と言葉”

■若き兵士“癒した”戦時下のアイドル 何かとストレスを抱え、不安定な毎日―。 そんな現代社会では“アイドルの存在”を「心の支え」にしている人も少なくありません。アイドルのライブに参加したファン「“推し”っていうのは人生を豊かにしてくれる存

「悲劇を語り継ぎたい」 346人犠牲「大兵庫開拓団」の慰霊祭
2024.08.18

「悲劇を語り継ぎたい」 346人犠牲「大兵庫開拓団」の慰霊祭

 第二次世界大戦末期、国策に従って旧出石郡高橋村(現・豊岡市但東町)から旧満州(現・中国東北部)へ移住後、逃避行の末に集団入水自決などで346人が亡くなった「大兵庫開拓団」の慰霊祭が17日、但東町内で営まれた。元団員の参列者は年々減り3人となる一方、元団員を親に持つ2世らは「悲劇を語り継ぎたい

「さらば故郷…永遠に帰らじ」『特攻隊』が出撃前に滞在した宿 家族と最期の面会の場 決意記した手紙も
2024.08.17

「さらば故郷…永遠に帰らじ」『特攻隊』が出撃前に滞在した宿 家族と最期の面会の場 決意記した手紙も

戦争末期、生きて帰ることが許されなかった特攻隊。大阪・八尾市には、出撃直前に特攻隊が滞在した宿がある。そこに彼らが残した思い。生と死のはざまで揺れる葛藤があった。巽 精造さんのノートより引用:吾が故郷 大阪の地 短かゞりし滞在なれど 父よ!母!姉妹よ!

“昭和99年”語り継ぐ「さらば故郷…永遠に帰らじ」『特攻隊』が出撃前に滞在した宿 家族と最期の面会の場 決意記した手紙も
2024.08.17

“昭和99年”語り継ぐ「さらば故郷…永遠に帰らじ」『特攻隊』が出撃前に滞在した宿 家族と最期の面会の場 決意記した手紙も

戦争末期、生きて帰ることが許されなかった特攻隊。大阪・八尾市には、出撃直前に特攻隊が滞在した宿があります。そこに彼らが残した思い。生と死のはざまで揺れる葛藤がありました。【巽 精造さんのノートより引用】「吾が故郷 大阪の地 短かゞりし滞在なれど 父よ!

見つめ続けたのは兵士の命 従軍カメラマン柳田芙美緒【戦後79年】
2024.08.17

見つめ続けたのは兵士の命 従軍カメラマン柳田芙美緒【戦後79年】

終戦から79年。SBSテレビのアーカイブから、戦争を、あの時代を生きた人たちの想いを伝えます。(2015年放送「つなぐ~静岡の戦後 静岡連隊」)【SBSアーカイブより】静岡市の中心市街地にある駿府城公園。この中に、戦時中、日本軍の部隊が置かれていました。「静岡連隊」主に静岡県の中

【書評】与那原恵氏が選ぶ、79年前の戦争を知るための1冊 『東京焼盡』緊迫する日々にあっても庶民の暮らしを見つめる
2024.08.17

【書評】与那原恵氏が選ぶ、79年前の戦争を知るための1冊 『東京焼盡』緊迫する日々にあっても庶民の暮らしを見つめる

 敗戦から今夏で1979年。戦争を体験した世代の高齢化に伴い、300万人以上もの犠牲者を出した、悲惨な先の大戦に関する記憶の風化が心配されている。いっぽう、世界を見わたせばウクライナやガザなど、未だ戦火は絶えず、さらに海洋覇権奪取を目論む中国、核ミサイルの実戦配備を急ぐ北朝鮮など、我が国を取り

「そこを掘れば必ず金が出る」進駐軍とも関係深め 激動の時代に夢を追い続けた“金掘りおばあさん”興梠千穂の半生
2024.08.17

「そこを掘れば必ず金が出る」進駐軍とも関係深め 激動の時代に夢を追い続けた“金掘りおばあさん”興梠千穂の半生

戦前から戦後にかけて高千穂町で夢を追いながら力強く生きた女性、興梠千穂さん(1897年~1978年)。晩年は高千穂の山で金を掘るなど、地元の人から「金掘りおばあさん」と呼ばれていた千穂さん。どんな女性だったのか、ゆかりの地や関係者を取材しました。■高千穂町の山の中 20年以上に渡

台風情報も報道規制…森田剛、戦時中のアナウンサー演じ「未来ある若者に見てほしい」
2024.08.16

台風情報も報道規制…森田剛、戦時中のアナウンサー演じ「未来ある若者に見てほしい」

 映画『劇場版 アナウンサーたちの戦争』の初日舞台挨拶が16日、都内にて行われ、俳優の森田剛と演出の一木正恵氏が登壇。戦時中の伝説的アナウンサーを演じた森田が作品への思いを語った。 戦時中「声の力」で戦意高揚・国威発揚を図り、偽情報で敵を混乱させた日本放送協会とそのアナウンサーた

空襲の火の海を逃げ惑った少女は戦後、米兵に“Dirty”と言われた。7歳が生き抜いた残酷な戦争とその記憶
2024.08.16

空襲の火の海を逃げ惑った少女は戦後、米兵に“Dirty”と言われた。7歳が生き抜いた残酷な戦争とその記憶

3月10日の東京大空襲を経験し、火の海の中を家族と逃げ惑った経験を「語り部」として伝えている女性がいる。上原淳子さん(86)は20年以上、東京大空襲・戦災資料センター(東京都江東区)で、空襲や第二次世界大戦中の経験を語っている。終戦記念日の8月15日、上原さんは同セ

「戦争忘れられてきている」 高齢化に危機感、語り部育成も 遺族代表の安斎満さん・終戦記念日
2024.08.16

「戦争忘れられてきている」 高齢化に危機感、語り部育成も 遺族代表の安斎満さん・終戦記念日

 全国戦没者追悼式で遺族代表として追悼の辞を述べた安斎満さん(86)=福島市=は、5歳の時に父が戦病死した。 遺族の高齢化で戦時中を知る人が減る中、「戦争が忘れ去られてきている」と危機感を募らせる。日本遺族会の常務理事として、語り部の育成に力を入れている。 父与一さ

戦時中の掩体壕 田園地帯の実り見守る“生き証人” 高知県南国市
2024.08.16

戦時中の掩体壕 田園地帯の実り見守る“生き証人” 高知県南国市

 高知県南国市前浜地区の田園地帯には、戦時中に航空機を守るために造られた掩体壕(えんたいごう)が今も残る。灰色がかった鉄筋コンクリート製の遺構の周囲では、収穫前の稲穂が揺れていた。 現在も7基残る掩体壕の中でも一番大きい4号掩体は幅44メートル、奥行23メートル、高さ8・5メート

戦後8年が経ち浮上した潜水艦「潜望鏡だけはぴかぴか光っていた」 戦争の末期に沈没し引き揚げられた「伊号第三十三潜水艦」 目撃者の記憶とは
2024.08.15

戦後8年が経ち浮上した潜水艦「潜望鏡だけはぴかぴか光っていた」 戦争の末期に沈没し引き揚げられた「伊号第三十三潜水艦」 目撃者の記憶とは

きょう終戦から79年を迎えました。今から80年前の太平洋戦争中に伊予灘沖で沈没し、その後、引き揚げられた、旧日本海軍の潜水艦。えい航された先の興居島で、その様子を目撃した住人から、話を聞くことができました。愛媛県松山市の沖合いに浮かぶ興居島(ごごしま)

今も残る『防空壕』空襲におびえた小学校時代 授業中でも空襲警報が鳴ると走って帰宅 いま85歳になった経験者が戦争の記憶を語る
2024.08.15

今も残る『防空壕』空襲におびえた小学校時代 授業中でも空襲警報が鳴ると走って帰宅 いま85歳になった経験者が戦争の記憶を語る

戦時中、空襲から命を守るために作られた「防空壕」。 神戸市のある住宅には、防空壕が当時のまま残されている。空襲警報が出るたびに逃げ込んだ、あの日、あの時。 85歳の男性の幼少期の記憶を、関西テレビ「newsランナー」吉原功兼キャスターが取材した。神戸市須磨区に住む、

高知の廃校で見つかった超一級資料 95年分の「学校日誌」戦時中は多くの“墨塗り”…山梨では「頭部粉砕」子どもたちの犠牲の記録も【news23】
2024.08.15

高知の廃校で見つかった超一級資料 95年分の「学校日誌」戦時中は多くの“墨塗り”…山梨では「頭部粉砕」子どもたちの犠牲の記録も【news23】

コウモリの棲み処となった高知県の廃校で、明治から昭和まで95年分の「学校日誌」が見つかりました。燃やされたり、破棄されるケースも多いという戦時下の日誌。学校が戦争に巻き込まれるようすや、子どもたちの犠牲も記されていました。■「絶対に残していかなければいけない」廃校で見つかった“超

戦後、日本とソ連の家族の間で揺れ動いた「シベリア民間抑留者」の苦悩 二つの国に翻弄された男女を描く『脱露』
2024.08.15

戦後、日本とソ連の家族の間で揺れ動いた「シベリア民間抑留者」の苦悩 二つの国に翻弄された男女を描く『脱露』

第二次世界大戦後、ソ連軍に占領された南樺太では多くの日本人市民が不当逮捕・強制連行され、シベリアの地に留め置かれた。この「シベリア民間人抑留」によって、当事者だけでなく彼らの家族までもが日ソ両国の政治的な思惑に翻弄される。歴史に長らく埋もれていた彼らの激動の人生を8年かけて取材し