多くの犠牲者を出した疎開船「対馬丸」沈没から80年 宇検村で慰霊祭 鹿児島

AI要約

太平洋戦争中に悪石島沖でアメリカ潜水艦に撃沈された疎開船「対馬丸」の犠牲者の慰霊祭が宇検村で行われました。

1944年に「対馬丸」が沈没し、約1500人が命を落とした悲劇を追悼しました。

宇検村での慰霊祭には約100人が参列し、犠牲者を追悼しました。

多くの犠牲者を出した疎開船「対馬丸」沈没から80年 宇検村で慰霊祭 鹿児島

 太平洋戦争中に十島村の悪石島の沖合でアメリカの潜水艦に撃沈された疎開船「対馬丸」の犠牲者の慰霊祭が宇検村で行われました。

 約80年前の1944年8月22日、沖縄から長崎へ向かっていた疎開船「対馬丸」が、悪石島の沖合でアメリカの潜水艦の攻撃を受けて沈没し、800人近くの子どもたちを含む約1500人が命を落としました。

 24日は、多くの遺体が流れ着いた宇検村で慰霊祭が行われ、村の関係者や沖縄県の玉城デニー知事ら約100人が参列し犠牲者を追悼しました。

 【宇検村・元山公知村長】

「こういう風につなげていくというのはいつ始めても遅くなく、今我々が学びなおしたり見聞きして伝えていくことが今後につながっていく」