“昭和99年”語り継ぐ「さらば故郷…永遠に帰らじ」『特攻隊』が出撃前に滞在した宿 家族と最期の面会の場 決意記した手紙も

AI要約

特攻隊が滞在した宿「政乃家」に残された思いと葛藤。

八尾空港周辺の政乃家は兵士の休息や最期の面会の場として機能。

政乃家の女将の孫が語る、兵士との交流や当時の思い出。

“昭和99年”語り継ぐ「さらば故郷…永遠に帰らじ」『特攻隊』が出撃前に滞在した宿 家族と最期の面会の場 決意記した手紙も

戦争末期、生きて帰ることが許されなかった特攻隊。

大阪・八尾市には、出撃直前に特攻隊が滞在した宿があります。

そこに彼らが残した思い。生と死のはざまで揺れる葛藤がありました。

【巽 精造さんのノートより引用】「吾が故郷 大阪の地 短かゞりし滞在なれど 父よ!母!姉妹よ! そしてなつかしき いとしい人よ さらば故郷…永遠に帰らじ」

ふるさと・大阪への思いをこう残し、特攻隊として戦地に散った若者がいました。

与えられるのは片道分の燃料だけ。

自らの命と引きかえに攻撃する特攻。生きて帰ることは許されませんでした。

戦時中は陸軍の飛行場だった、大阪・八尾市にある八尾空港(旧・大正飛行場)。特攻隊を含む多くの兵士が立ち寄り、そして、飛び立っていきました。

その近くに今もある建物は当時、立ち寄った兵士が宿泊した旅館でした。

名前は「政乃家(まさのや)」。1990年前後に廃業しましたが、今も面影を残しています。

(※現在は借家で一般の方が居住。公開はしていません。)

1928年(昭和3年)に開業した政乃家は、戦時中は軍の宿舎に指定され、客のほとんどが兵士。

ひとときの休息。そして戦地へ赴く前に、家族と最期の面会をする場にもなっていました。

当時の話は、世代を超えて語り継がれていました。

長野県で旅館を営む森木幸子さん(56歳)は政乃家の女将の孫。

当時6歳だった母親から、政乃家の思い出を聞いて育ちました。

【「政乃家」女将の孫 森木幸子さん】「(母・敏子は)『よく遊んでもらった』と言っていたと思います、兵隊さんに。折り紙やったか、めんこやったか、物(絵)を描いたのか、『よく遊んでもらった』と言っていた」

母親の敏子さんには、子供心にも、印象に残っていたことがあったそうです。

【「政乃家」女将の孫 森木幸子さん】「兵隊さんの家族が来られた時は、『絶対に行ってはダメ』と言われたと。母はその時、何を意味するのか分からなかったが、言われたことは守って(部屋に)行かなかったと」