高松空襲から79年 慰霊堂で犠牲者の追悼式 遺族の参加者は年々減少「一緒に学んでいけたら」

AI要約

高松市で行われた慰霊式では、空襲犠牲者への追悼が行われ、遺族や児童ら約150人が参加しました。

事件があった1945年の7月4日には、高松市中心部がアメリカ軍の空襲でほぼ全焼し、1359人が犠牲となりました。

現在、遺族の参加は年々減少しており、13人のみが参加した慰霊式で、戦争の記憶を次世代に伝える取り組みも重要視されています。

高松空襲から79年 慰霊堂で犠牲者の追悼式 遺族の参加者は年々減少「一緒に学んでいけたら」

 高松空襲から、7月4日で79年です。高松市にある慰霊堂で3日、犠牲者の追悼式が行われました。

 高松市の六角堂で開かれた追悼式には、遺族や亀阜小学校の児童ら約150人が出席しました。

 1945年7月4日未明、高松市中心部は、アメリカ軍による空襲で約8割が焼け、1359人が亡くなりました。

(亀阜小学校 4年/中山櫻子さん)

「戦争は人々を苦しめたり悲しめたりするので、戦争が二度とないようにしたいです」

 高松市の多田義子さん(80)は、1歳の時に空襲に遭いました。

(多田義子さん)

「家族が空襲で亡くなってしまって一人になって、庵治町の方にもらわれた。これだけは来ることにしている。もう本当に元気でいろんなことができて、周りの人が優しくしてくれてありがとうっていう。もう何でもありがとうや」

 式に参加する遺族は年々減り続けていて、今回は13人でした。

(六角堂保存会/水谷千種 会長)

「遺族の方がほとんど来られないというのが現状になりました。私自身も戦争を知りませんので、子どもと一緒に経験者の方から話を伺って、一緒に学んでいけたら」