小学校に米軍機墜落「一歩間違えば私も助からなかった」…事故から65年、沖縄県うるま市で慰霊祭

AI要約

沖縄本島中部の宮森小学校に墜落した米軍ジェット機事故から65年が経過し、慰霊祭が行われた。

遺族や当時の児童、教員らが犠牲者の冥福を祈り、約300人が参列した。

事故では17人が死亡し、200人以上が重軽傷を負ったが、影響を受けた者も今なおいる。

 沖縄本島中部の旧石川市(現うるま市)の宮森小学校に米軍ジェット機が墜落し、児童や住民計17人が死亡した事故から65年となった30日、同小で慰霊祭が営まれた。遺族や当時の児童、教員らが、犠牲者の冥福を祈った。

 同小卒業生らでつくるNPO法人主催。この日は約300人が参列し、校庭内の慰霊碑に手を合わせ、犠牲者を悼んだ。児童らが平和を願う群読も披露した。

 当時、小学校敷地内にあった幼稚園の園児で、今も後頭部に傷が残る佐賀県太良町の山本恵子さん(71)が初めて参列。事故前後の記憶はほとんどないが、確認された米軍資料には、頭蓋骨が陥没し、激しいめまいや嘔吐、記憶障害などの症状があったと記録されていたという。山本さんは「一歩間違えば私も助からなかった。事故を忘れないよう、伝えていかなくてはいけない」と話した。

 事故は1959年6月30日午前に発生。米軍嘉手納基地(嘉手納町など)を離陸した戦闘機が墜落し、同小に突っ込んだ。児童11人を含む17人が死亡し、200人以上が重軽傷を負った。