支配する国で違う「街の景観」、多くの国に支配された「U-17W杯開催国」は【アジアやアフリカに残る「欧州の爪あと」】(2)

AI要約

アフリカ各地を訪れた蹴球放浪家が、現地の街並みにヨーロッパの影響を感じるエピソードを紹介。

モザンビーク、ジンバブエ、ザンビア、ナミビア、香港、マカオといった各地域の植民地時代の痕跡が街の風景に残る様子。

様々な植民地の影響を感じられる旅行先で、歴史的な背景に触れる興味深い体験ができる。

支配する国で違う「街の景観」、多くの国に支配された「U-17W杯開催国」は【アジアやアフリカに残る「欧州の爪あと」】(2)

 蹴球放浪家・後藤健生は、取材先で既視感に襲われることがある。予期しない場所で突然、ヨーロッパの街並みが出現することがあるのだ。アフリカで、アジアで、蹴球放浪家が目にした、ヨーロッパ諸国による「歴史の爪あと」――。

 さて、モザンビークの首都マプトは、独立後、激しい内戦があったのが嘘のように平和な街で、夜でもホテルの外を自由に歩くことができました。

 街の真ん中は碁盤の目のような街路が広がっており、その中心には四角形の公園があり、大きな木々が枝を広げています。スペインやポルトガルの、あるいは旧スペイン領やポルトガル領だった南米各国の都市とも似ています。建物の構造や、窓の飾りなども、本国ポルトガルと同じ。建物の壁面が「アズレージョ」と呼ばれるタイルで装飾されているところも、ポルトガルの街と同じでした。

 そう、旧英国植民地だった南アフリカとはまったく違うのです。

 大会終了後に訪れたジンバブエとザンビアは旧英国植民地(南ローデシア)でしたから、街の構造は基本的には南アフリカと同じでした。

 しかし、最後に訪れたナミビアはまたちょっと趣向が違いました。

 そう、ナミビアは第1次世界大戦前はドイツ領の「南西アフリカ」という植民地だったのです。

 第1次世界大戦でドイツが敗北してからは、この地は南アフリカの委任統治領となり(第2次世界大戦後は信託統治領)、南アフリカによって支配されていましたが、それでも街の風景はドイツらしさが残っています。議事堂や政府の建物などが並ぶ中央広場に立つと、本当にドイツっぽい建築が並んでいます。

 もっとも、ナミビアの首都ウィントフクは治安があまり良くなかったので、暗くなってからは自由に出歩けませんでしたが……。

 このように、昔どこの植民地だったのかによって、街の景観は大きく変わってきます。

 身近な例では香港とマカオ(澳門)があります。

 どちらも、もともとは中国南部・広東省の小さな漁港でしたが、香港は英国の、マカオはポルトガルの植民地となったことで、まったく違った街に発展しました。

 英国人は香港の地に英国風(あるいは植民地風)の建物を建てて、芝生の広場を作ってスポーツに興じました。だから、同じ英国植民地だったシンガポールと似た街並みになっています。

 一方、マカオのほうはポルトガル的な風景になりました。最近のマカオは沖合が埋め立てられ、近代的な高層ビルが建ち並んでいますが、それでも本来のマカオである半島部にはポルトガル的な景色を見かけます。政府庁舎のあるセナド広場には「アズレージョ」が敷き詰められていて、リスボンの裏町を思い起こさせます。

 どこかの国に行ったら、そこが昔はどこの国の領土だったのかを考えてみると面白い発見があることでしょう。