「高校生の大谷翔平が泊まったことも」「地下室でボールの弾み具合を…」“非公開”の高校野球本部「中沢佐伯記念野球会館」には何がある?

AI要約

日本高等学校野球連盟の歴史や設立背景、夏の甲子園大会の起源や進化について概説されている。

日本高野連本部の所在地や創設経緯、役割について詳細に追及されている。

戦前から戦後にかけての中等学校野球の停止、再開、競技団体設立までの過程が解説されている。

「高校生の大谷翔平が泊まったことも」「地下室でボールの弾み具合を…」“非公開”の高校野球本部「中沢佐伯記念野球会館」には何がある?

 酷暑対応を踏まえた「朝・夕方の2部制」を夏の甲子園で導入したり「7回制」について言及するなど日本高野連の発信が積極的だ。公式サイトの“改革”や一般には公開されていない“ナゾの施設”などを担当者に取材した<全2回>

 公益財団法人日本高等学校野球連盟は、大阪市西区江戸堀の「中沢佐伯記念野球会館」内にある。

 江戸堀は江戸時代初期に開削された江戸堀川に沿って拓かれた町で、大阪の中心地・梅田やビジネス街の本町にも近いが、昔からの商店や小粋な料理屋が並ぶ落ち着いた町だ。

 筆者は若いころからこの界隈に足を運ぶことが多かったが「日本高等学校野球連盟」という標柱を見るたびに「こんな地味な街に高校野球の本部があるのだ」と思った。

「戦後、日本高野連が最初にできた時は、朝日新聞大阪本社の一角を間借りしていたらしいのですが、やはりきちんとした建物、事務所が欲しいという当時の方々の思いで土地を探され、最終的にこの場所になったと聞いています。

 せっかく作るのであれば、きちんとした会議や宿泊もできる、本格的な本部機能のあるものにしようということになったようです」

 日本高野連の井本亘事務局長はこのように話していた。

 簡単に高校野球の歴史を振り返っておこう。

 朝日新聞社の主催で夏の甲子園大会の前身である「全国中等学校優勝野球大会」が始まったのは1915年のこと。1924年に阪神甲子園球場が開場すると、全国的な人気を呼んだ。この年、毎日新聞が主催してセンバツの前身となる「全国選抜中等学校野球大会」もスタートする。中等学校野球の普及によって、野球人気は全国的なものになった。

 しかし、戦前は中等学校野球を統括する団体はなかった。

 そのために1937年に文部省から「野球ノ統制並施行ニ関スル件=野球統制令」が発令されると、中等学校野球はそれに従うしかなかった。さらに太平洋戦争が始まると1943年に文部省が「戦時下学徒体育訓練実施要綱」を制定し、中等学校野球は全面的に停止となった。

 戦後、佐伯達夫(のち日本高野連会長)など戦前からの関係者が奔走して中等学校野球が再開されたが、競技としての一貫した方針を持ち、社会と向き合うためには、競技団体を作るべきだと痛感した佐伯らは、1946年2月に全国中等学校野球連盟を設立する。

 1948年には新学制が施行され中等学校は高等学校と改称される。これに伴って、1948年に全国高野連ができる。さらに1963年、財団法人日本高等学校野球連盟が誕生した。