【五輪日和】「神様のいたずら」「神様のいじわる」戦い終えたアスリートたちの思いと珠玉の言葉

AI要約

田中希実と早田ひなが、苦難を乗り越えてオリンピックでの偉業を達成した。

彼らの言葉からは、精神的な強さと闘志が感じられる。

アスリートの哲学と人間の強さについて考えさせられる。

【五輪日和】「神様のいたずら」「神様のいじわる」戦い終えたアスリートたちの思いと珠玉の言葉

<五輪日和>

 「神様のいたずら」

 陸上の田中希実が女子1500メートル準決勝で3分59秒70という自身の日本記録(3分59秒19)に迫る走りを見せた。そのレース直後のインタビューで、冒頭の言葉が出てきた。

 予選では他の選手と接触し、順位を後退させるアクシデントがあった。しかし救済措置で準決勝に進出した。今大会は5000メートルで予選落ちするなどさまざまな苦しみを味わった。そんな試練の先にあった4分切り。敗退という悔しさがある一方で、次に向かう活力となる一筋の光が差し込んでいたのだろう。そのコメントのくだりはこうだ。

 「神様のいたずらというか、もう1回機会をいただいたおかげで、目に見える形で決勝というところはお見せできなかったのはすごく残念ですけど、いつかもう1回絶対に立ってみせるという新たな気持ちを作れたレースだった」

 どこかで聞いたような。卓球の早田ひなが8月3日の女子シングルス3位決定戦で勝利した後、似たような言葉を口にしていた。

 「神様のいじわる」

 準々決勝で左腕を痛めた。続く準決勝では世界ランキング1位の孫穎莎(中国)に何もできず、0-4と完敗。大事な局面で負傷という大きな試練とも闘っていた。そんな苦しみの先にあった3位決定戦で、痛み止めの注射を打って勝負に懸けた。そしてつかんだ銅メダル。最後まで気持ちを切らさず、あきらめなかった。そして胸にたまっていた感情、思いがとめどなくあふれ出ていた。

 「金メダルを目指していたけど、まさか神様にこんなタイミングでいじわるをされると思わなくて。それでも大事なフォアハンドドライブだけは残してくれた」

 涙ながらのストレートな物言いは、こちらに訴えるものがあった。

 オリンピックに出るトップアスリートとなれば、誰しも心身を極限まで追い込み、血のにじむような努力をしている。この苦しみは必ずや報われると信じて。だからこそ「神様」がいる。

 アスリートはみな、哲学者だと思う。どうすれば結果が出るのか。常に自身と対話しながら競技に打ち込んでいる。周囲の期待の声に重圧を感じ、ライバルたちの活躍を見れば焦りも生まれる。悩み、考え、そして希望の道筋を探す。孤高ゆえの志がある。その思考が重なれば、自分なりの言葉が醸成される。それが珠玉の言葉となって出る。

 「人間は考える葦である」。フランスの思想家パスカル(1623~1662年)の有名な言葉である。葦とは水辺に群生している細くて長い、ススキのような植物のこと。「人間とは1本の葦のような儚(はか)い存在だが、一方で思考を続ける偉大さを持ち合わせている」という意味だ。

 田中希実のよどみなく出てくる言葉。その事細やかさには驚かされる。レース直後のインタビューであれほど研ぎ澄まされ、深い思考を感じさせるものはない。まさしく思想家だった。

 「苦しい時間が長かった大会だった。でも私にとって必要な時間というか、必要な試練であって、理不尽な苦しみでなく与えられるべくして与えられた時間だった」

 もっと遠くへ-。その一心で思考を繰り返し、自らを高みへと持って行く。うるう年と同じ4年に1度の巡り合わせ。そこで発せられるアスリートたちの言葉にそっと耳を傾けたい。

 私たちにとって生きる上でのヒントさえ見えてくる。【佐藤隆志】