1994年生まれ「アスリート黄金世代」の元新体操日本代表・畠山愛理(29歳)が同世代の活躍に思うこと「一番、すごいなと思う存在は…」

AI要約

畠山愛理さんは新体操日本代表として活躍し、同い年の有力アスリートたちから刺激を受けていた。

ロシアでの共同生活や新体操の考え方が変わり、芸術性を重視するようになった。

プレッシャーよりも新体操を広めることに喜びを感じていた畠山さんの姿が垣間見える。

1994年生まれ「アスリート黄金世代」の元新体操日本代表・畠山愛理(29歳)が同世代の活躍に思うこと「一番、すごいなと思う存在は…」

 MLBで活躍を続ける大谷翔平選手。実は同選手と同じ1994年生まれは、各競技に有力アスリートがいる「黄金世代」でもある。MLBシカゴ・カブスで活躍する鈴木誠也選手と、元新体操日本代表として2度の五輪に出場した畠山愛理さん夫妻も94年生まれ。30歳の節目を迎えるいま、畠山さんは元選手として、選手の妻としてかつてのアスリートライフをどんな風に振り返るのか。その率直な思いを聞いた。<NumberWebインタビュー全2回の2回目/最初から読む>

 新体操日本代表「フェアリージャパン」の一員として活躍した畠山愛理さん(29歳)。幼い頃から将来を嘱望され、中学3年生の時に最年少で代表チームのトライアウトに合格。ロンドン、リオと2度のオリンピックで入賞を果たし、その可憐な演技で大きな注目を浴びた。畠山さんは 1994年生まれ。同級生には大谷翔平選手やフィギュアスケートの羽生結弦さんをはじめ、スピードスケートの高木美帆選手、競泳の瀬戸大也選手など各競技を代表する逸材が揃う。

 では、現役時代の畠山さんは彼らからどんな刺激を受けていたのだろうか。同級生アスリートへの想いや同い年の夫・鈴木誠也選手との出会い、アメリカ・シカゴで暮らす畠山さんが刺激を受けている存在とは――? 

――1994 年生まれは、各競技を代表する選手が揃う「最強世代」と言われていますね。現役時代、同い年の選手との交流はありましたか? 

畠山愛理さん(以下、畠山) 高校時代から、バドミントンの奥原希望選手と高木美帆選手がお友達です。ロシアで合宿している間もニュースで2人の活躍を見て、刺激をもらっていました。

――お二人とはどんなきっかけで知り合ったのでしょう? 

畠山 私は基本的にロシアで共同生活を送っていたのですが、帰国した時はナショナルトレーニングセンターで合宿をしていました。そこで「同い年だよ」と紹介してくださった方がいらっしゃったのがきっかけで仲良くなりました。

――ナショナルトレセンで多くの選手と顔を合わせることがあったんですね。

畠山 私の現役生活は家に帰らず、ずっと合宿の日々だったので、とにかく世界が狭かったんですよね。中学3年生から大学4年生までずっと共同生活で、高校も通信制だったので外の人との交流がほとんどありませんでした。なので、同い年の選手と知り合えたのはとても嬉しかったことを覚えています。みんなの活躍に励まされていました。

――確かに10代の頃から1年の大半をロシアで過ごすというのは異例のケースですよね。大変だったことも多かったのではないでしょうか? 

畠山 そうですね。でも、私はロシアに渡って新体操の根本の考え方がガラリと変わりました。新体操は芸術スポーツですが、ロシアで教えて頂くまでは「正しくノーミスで演技する」ことをすごく大事にしていたんですよね。

 もちろん正確な演技をすることはとても大切です。でも見ている人の心を動かしたり、踊り手の感情を演技で伝えられてはじめて「ノーミス」だということを学びました。日常生活でも演技をよりよくするためのヒントを探す。バレエ鑑賞に行ったり、噴水公園に行って綺麗なものを見たり。自分たちが演技で使っている曲の映画を見て世界観を知ったり……。改めて「新体操って芸術スポーツなんだよな」と教えてもらったような感覚でした。

――畠山さんが活躍されていた当時、フェアリージャパンは大きな注目を集める存在でしたし、オリンピックでは入賞・メダルへの期待も寄せられていました。プレッシャーも大きかったのではないでしょうか? 

畠山 当時はプレッシャーよりも、新体操をたくさんの方に知っていただけることがうれしかったです。それまで新体操は取材していただく事も珍しく、大会が地上波で放送されることも滅多にありませんでした。

 例えば野球の場合はいつも球場に記者の皆さんがいて、テレビでも必ず試合が中継される。夫と結婚して改めて「同じスポーツでも全然違うな」と感じていました。だから、取り上げて頂けることはありがたかったです。