早田ひな:卓球 王国・中国勢が最も警戒する“遅れてきたヒロイン”【パリ五輪・頂を目指すアスリートたち】

AI要約

24歳にして初出場の五輪で、早田ひなは日本の卓球女子のエースとして「打倒中国」に挑む。中国選手に勝利し、歴史的な快挙を達成した。

早田は次のパリ五輪を目指し、中国選手に対する強化に取り組んできた。偉大な選手になることを目指し、努力を続けてきた。

世界選手権での勝利を経て、自信をつけた早田は柔軟な戦略転換も見せ、厳しい試合を制して勝利を手にした。

早田ひな:卓球   王国・中国勢が最も警戒する“遅れてきたヒロイン”【パリ五輪・頂を目指すアスリートたち】

モリエ ミサキ

24歳にして初出場の五輪で、早田ひなは日本の卓球女子のエースとして「打倒中国」に挑む。サウスポーから繰り出す強烈なドライブに加えてバックハンドにも磨きがかかり、今や中国勢も警戒する実力を身に付けた。壁は高くともあくまで金色のメダルを狙う。

卓球日本女子のエース・早田は、同じ2000年生まれの伊藤美誠(みま)や平野美宇(みう)らとともに「黄金世代」と呼ばれ、卓球界をけん引してきた。だが五輪出場経験は無く、リオや東京では、伊藤、平野が戦うのを眺めてきた。遅れてきたヒロインとして、この夏、パリで初の夢舞台に立つ。

リザーブ選手だった21年の東京五輪では、悔しさを断ち切り、練習パートナーや球拾いなどサポート役に徹した。試合では客席から声が出なくなるほどエールを送り続け、親友・伊藤が水谷隼(じゅん)との混合ダブルスで金メダルを取ったときは自分のことのように泣いて喜んだ。

メダルを獲得した仲間たちを心から祝福しながらも、胸の内には当然、次のパリへの思いがあった。東京の大舞台を間近で見て、最後に勝ち切る選手は心技体全てが究極の状態にあると体験したことは大きな収穫となった。そして3年後のパリで頂点に立つことを見据え、一心不乱に強化に取り組んできた。

21年のアジア選手権(カタール・ドーハ)では団体、女子シングルス、混合ダブルスの3冠を達成。パリ五輪代表選考は2年間の対象試合のポイントを積み上げ、上位2人がシングルス代表に選出される方式。早田は22年3月に始まったこの選考レースで首位を独走し、圧倒的な強さを見せ続け不動のエースへと成長を遂げた。

目標は五輪で金メダルを取れるような、誰もが認める選手になることだ。そのためには卓球大国・中国の精鋭たちを倒さなければならない。

サウスポーから繰り出す強烈なドライブに磨きをかけ、攻撃の組み立てでも幅を広げた。さらにバックハンドの強化、サービスも工夫し、入念な中国対策を行ってきた。

2023年5月の世界選手権(南アフリカ・ダーバン)では、女子シングルス準々決勝で当時世界ランキング3位の王芸迪(ワン・イーディ)を撃破した。9度マッチポイントを握られながらも耐え続けた死闘の末の勝利。世界選手権シングルスで日本選手が中国選手に勝ったのは実に44年ぶり。歴史的な快挙だった。

世界ランキング上位に名を連ねる中国選手との戦いで、早田は常に「これを超えてもまだいるのか」と、その厚い壁を実感してきた。だからこそ「中国を超えるために頑張ってきた。この舞台で勝つことができてうれしい」と喜んだ。そして、「今までやってきたことは間違っていなかった」と確認できたことが大きな自信となった。

実はこの試合、得意のドライブでポイントが取れずに苦しい展開を強いられていた。そこで、強烈なバックハンドによる積極的な攻めを織り交ぜる戦略に転換。最終第7ゲームでマッチポイントを迎えた後にも強烈なバックハンドを決め、21-19で死闘を制した。試合中も変化を恐れなかった早田の柔軟な対応が勝利へとつながった。