「自分のケツは自分で拭け!」巨人・斎藤雅樹の“更新不可能な記録”11連続完投勝利は藤田監督の“スパルタ教育”から生まれた「僕みたいに未熟な者が…」

AI要約

プロ野球のアンタッチャブル・レコードについての要約。

1989年の斉藤雅樹投手の11試合連続完投勝利の記録について。

斎藤と藤田元司監督とのエピソードについて。

「自分のケツは自分で拭け!」巨人・斎藤雅樹の“更新不可能な記録”11連続完投勝利は藤田監督の“スパルタ教育”から生まれた「僕みたいに未熟な者が…」

 プロ野球にはほぼ誰も塗り替えることが不可能と考えられている「アンタッチャブル・レコード」というものがある。

 例えばメジャーリーグでは2004年にシアトル・マリナーズのイチロー外野手(現マリナーズ会長付特別補佐兼インストラクター)が84年間、破られることのなかったジョージ・シスラーの257安打を更新し、最終的に262安打としたシーズン最多安打記録。またサンフランシスコ・ジャイアンツのバリーボンズ外野手の持つ通算762本塁打(この記録には薬物疑惑問題から否定的な意見もあるが)も「アンタッチャブル・レコード」と言われている。

 一方、日本でも巨人・王貞治一塁手(現ソフトバンク球団会長)の通算868本塁打や国鉄、巨人で活躍した金田正一投手の通算400勝、東映、巨人などで活躍した張本勲外野手(現評論家)の通算3085安打なども、NPBの「アンタッチャブル・レコード」として歴史に輝くものである。

 そしていまから35年前の1989年7月15日に、これも今後、塗り替えられることはほぼないであろう「アンタッチャブル・レコード」が樹立された。

 この日の東京ドームで行われた巨人対ヤクルト戦で先発した巨人・斎藤雅樹投手は、9回を投げてヤクルト打線を3安打完封。この完投勝利で近鉄・鈴木啓示投手の持つ記録を、11年ぶりに更新する11試合連続完投勝利を達成したのである。

 当時はすでに各チームでクローザーが活躍していたものの、一方で主力投手には1試合を任せ、完投を求める考えが色濃く残る選手起用が主流だった。実際に1988年のセ、パ両リーグを合わせた完投数は441。2023年にはその数字は73完投と約6分の1まで減少している。

 ただそれだけ先発完投を求められた時代背景があったとしても、1人の投手が11試合連続で完投し、しかもそのすべてを白星で飾る。斉藤の樹立したこの「アンタッチャブル・レコード」は、やはりプロ野球史の中でも、特筆すべきものということができる。

 この記録を樹立した当時の斎藤は市立川口高校からドラフト1位で入団したプロ7年目。3年目の85年に12勝をマークしたが、その後2年間は肘の故障などもあり7勝、0勝とジリ貧の成績で燻っていた。入団当時から天性の打撃、守備センスを買われて内野手への転向案もあり、この頃には当時の二軍監督だった須藤豊からショート転向を勧められたこともあった。しかし斎藤本人は「自分でもピッチャーを諦めかけた時もあったけど、ショートはいつでもできる。ピッチャーは1度諦めたら、そこでもう2度とチャンスがなくなる」と意地を通して投手としての再起に賭けていたのである。

 そんな迷いの最中に出会ったのが、この年から2度目の監督に就任した藤田元司だった。

 斎藤が入団した83年当時も藤田は一軍監督でチームを指揮していた。当時、二軍を視察した際に斎藤を見て、腕の振りと腰の回転がバラバラだったことに目をつけて、「ちょっと腕を下げてごらん」とサイドスローへとフォームを変えさせた張本人も藤田だった。そして2度目の監督になると気弱で先発に向かないと言われた斎藤に「お前は気が弱いんじゃなくて、優しいだけなんだ」と諭し先発で起用した。

「もちろん11連続完投勝利を達成したヤクルト戦も記憶に残っていますが、僕にとって一番印象に残っている試合は記録がスタートした大洋(現DeNA)戦なんです」

 斎藤からこんな話を聞いたことがある。