「糸井くん、野手やりなよ」“超人”の才能にいち早く気付いた新庄剛志監督の慧眼

AI要約

糸井嘉男氏は引退後もトレーニングを続け、野球解説者として活躍。現役時代には、日本ハム、オリックス、阪神で活躍し、“超人伝説”を生み出した。

糸井氏はオリックス時代に大谷翔平選手と対戦し、その進化を体感。大谷の打球に驚愕した経験を明かす。

新庄剛志監督が糸井氏の野手転向を提案し、その後大活躍。糸井氏の遅咲きの成功についても触れられている。

「糸井くん、野手やりなよ」“超人”の才能にいち早く気付いた新庄剛志監督の慧眼

 抜群の身体能力から“超人”の異名をとった糸井嘉男氏は、2022年限りで引退した今もなお日々トレーニングに励み、強靱な肉体を誇っている。現在は野球解説者としてプロ野球中継はもちろん、ABEMAのMLB解説などで人気を博しているが、日本ハム、オリックス、阪神で強打の外野手として活躍した現役時代には、様々な“超人伝説”を生み出した。今回、糸井氏自身がその真実について明かす。

 現在、メジャーでは言うまでもなく、ドジャースの大谷翔平選手が大活躍中。糸井氏はオリックスに在籍した2013~16年の4年間で、日本ハム時代の“投手・大谷”と何度も対戦を重ね、進化の過程を体感したという。さらに、“打者・大谷”にも「札幌ドームでの試合前、日本ハムのフリー打撃の時間は、ビジターの僕たちのウォーミングアップの時間にあたるのですが、大谷くんが打っていると僕たちはウォーミングアップにならなかったです。彼が見たこともないところまで打球を飛ばすので、みんな口を開けて見とれていた。当時はギータ(柳田悠岐外野手)もすごかったけれど、彼がかすむくらいの飛距離でした」と衝撃を受けた。

「大谷くんはメジャーに行ってからも成長を続けていますが、僕にとっては、まだ粗削りだったプロ入り当時から、どんどん完成されていく姿を、対戦相手として見ることができたことが幸運でした」と目を細める。もっとも、糸井氏自身も“破格”の野球人生を送った1人である。

 2003年のドラフト自由獲得枠で、近畿大から日本ハム入りした時は投手だった。2年間1軍登板なしに終わり、3年目から野手に転向。レギュラーの座をつかんだのは6年目の2009年で、すでに28歳の遅咲きだった。そこからシーズン打率3割を9回、首位打者1回、最高出塁率3回とバットで鳴らした。オリックス時代の2016年には35歳にして53盗塁を記録し、盗塁王に輝いている。

 実は、糸井氏の野手としての才能にいち早く気付いたのは、現日本ハム監督の新庄剛志氏だった。投手時代の春季キャンプでウォーミングアップ中、当時現役だった新庄監督から突然「糸井くん、君、野手やりなよ」と声をかけられたという。「僕の走り方を見ていて、ひらめいたそうです。新庄さんって、すごいですよ。ノリや直感であまり深く考えてはいないイメージですが、いろいろなところを見ている。今も選手のいいところを見極めて伸ばすのがうまい監督ですが、昔からのことです。新庄さんに関しては、(香水の)すごくいい香りがしていたことと、かけていただいた言葉が忘れられません」と語る。