在宅ターミナルでの選択

AI要約

父親ががん末期で余命を知りたくて医師に相談するが、予測は難しい。

母親もがんで亡くなった過去があり、家族で看病しようとするが、母親の状態は安定しない。

親戚の意見の違いから、家族での看病に対する葛藤が生じる。

在宅ターミナルでの選択

病院の一室で、女性が医師から説明を受けている。

 「お父さまに対して、私たちができることはもう何もありません」

 父親は84歳。大腸がんの末期だ。リンパ節、肝臓、肺など複数の遠隔転移があるという。

 「あと、どれくらいなのでしょうか?」

 「一般的に言って、同じような状態の患者さんは3カ月ほどのようです。でも、半年や1年以上の方もいらっしゃいました」

 知りたいのは、一般論や他の患者との比較などではなく、父親本人に残された時間なのだけれど、がん末期患者の余命を正確に予測することは難しいようだ。

 実は、母親も15年前にがんで亡くなっている。乳がんだった。

 50代でがんが見つかり、すぐに手術をした。経過は順調で、5年、10年と再発も転移もなく過ぎていった。「もう安心」と気を許した矢先、腰の痛みが続くようになった。骨への転移だった。

 骨への転移の発覚後しばらくは、通院治療を続けていた。だが、転移が肺、肝臓、脳にまで及ぶにつれ、通院する体力がなくなり、入院での治療となった。

 そして15年前のある日、病院医師は「できる治療はすべてやり尽くしました」と告げた。娘は、子どもたちや父親を動員すれば何とかなると考え、母親を家に連れて帰ることにした。

 「長くて3カ月」

 医師が告げた母親に残された時間も、今の父親と同じようなものだった。落ち葉が舞う季節、車いすに乗っての帰宅。母親は「あ~懐かしい」と目を細めた。

 家族は「みんなで力を合わせて看病をしよう」と話し合った。ところが帰って10日もしないうちに、母親の体力と気力は回復し、寝床を離れることができたのだ。住み慣れた「家」の力なのだろうか。そして、3カ月目を乗り越えた。

 4カ月目も過ぎた。退院した時は、「家族で正月が迎えられれば」と思っていたのだが、正月どころか、この勢いなら花見にも行けそうだった。ところが梅が咲く頃、母親の食が急に細くなり、寝床にいる時間が長くなった。

 訪問診療医は、別れの日が近づいてきたと知らせた。また、かねて申し合わせていた延命のための治療は行わないことを再確認した。

 親戚の見舞いも多くなった。母親は見舞いを歓迎したが、中には、歓迎されない親戚もいた。母親の兄がその最たるもので、「なぜ病院に連れていかないのか!」と強く言う。婿養子の父親は言い返すことができない。娘が、往診の先生に診てもらっている旨を告げても、「こんなに弱っているのに、点滴もしない医者はやぶだ!」と切り捨てる。そのような押し問答が繰り返される。そうこうしているうちに、伯父の大声に同調する親戚が増え、そのうちに父親まで「病院に連れて行った方がいいんじゃないか」などと言い出した。