北方領土元島民「『まだ80年』返還運動は時間を考えずに根気よく」富山から根室市を訪れた中学生に語る

AI要約

富山県の中学生が北海道を訪れ、元島民から北方領土の様子を聞く。

元島民の苦しい心の内や交流の重要性、現状と課題を紹介。

高齢化する元島民の望みや、北方領土問題の長期化への考察。

北方領土元島民「『まだ80年』返還運動は時間を考えずに根気よく」富山から根室市を訪れた中学生に語る

北方領土を対岸から視察のため、先週、富山県内の中学生が北海道を訪れ、元島民から当時の様子を聞きました。

戦後79年。

返還交渉が停滞するなか元島民は苦しい心の内を語りました。

県内の中学生18人が視察団として訪れたのは北海道根室市。

北方四島を間近に臨む領土返還要求運動「原点の地」です。

*色丹島 元島民 得能宏さん

「この北方四島を開拓したのは富山県の人たちの力が大きい」

生徒たちに語るのは色丹島出身の元島民、得能宏さん90歳です。

富山県出身で漁師の祖父が色丹島に移り住んだ得能家の3代目として島で生まれた

得能さん。

当時ソ連だったロシアの侵攻によって追い出される13歳まで島で過ごしました。

ふるさとを占拠されたときの記憶は今でもはっきりと覚えています。

*色丹島 元島民 得能宏さん

「武装してライフル銃を持った兵隊が(学校の)教室に流れ込んできた。ソ連の中でもたちが悪かったなと思うくらい家の中が荒らされていた」

得能さんは、1992年から始まった北方領土を訪問するいわゆる「ビザなし交流」に12回参加、元島民の先頭に立って交流を継続しようと取り組んできました。

*色丹島 元島民 得能宏さん

「あまりにも日本側が『返せ』と言うから、ロシア人が『会いたくない』『ニェット(ロシア語で否定の意味)』と。我々としては交流を切られては困るから、『返せ』と言わないようにした。こういう機会を断ち切らなければ、何のためにビザなし交流をやっているのか必ず疑問を持つロシア人もいる。それが返還運動の一つになっていると思う」

しかし何とかつなぎとめてきた四島との交流は、新型コロナの世界的パンデミックで途切れてしまいました。

その後ロシアがウクライナに軍事侵攻したことで日ロ間で交渉は止まっています。

これまで行われてきた現地での墓参りはできないため、現在、元島民たちは北海道と北方領土の間にあたる「日ロ中間ライン」まで船で近づき、船上から島に向かって手を合わせる「洋上慰霊」を行っています。

四島に上陸できない現状に得能さんは焦りを感じています。

*色丹島 元島民 得能宏さん

「交流の継続が困難でほとんどない。この中断がものすごくこわい。継続で順番につないでいけば効果的だし、(日ロが)お互いに受け入れやすい。島に渡れないのは最悪の状態」

また返還に向け課題となっているのが、元島民の高齢化です。

元島民などでつくる千島歯舞諸島居住者連盟の調べでは、終戦時1万7000人以上いた元島民は7割ほどがすでに亡くなっていて、生存者は今年3月末時点で5135人。

その平均年齢は88.5歳と、返還運動は次の世代へ引き継ぐ時が来ています。

*色丹島 元島民 得能宏さん

「90歳を超えると、『そんなことを言うな』と言われるけれど、分かんないんですよ、明日(どうなるか)が。仲間(語り部)の中で喋れる人はいなくなってしまった。『領土問題は簡単ではない。100年も200年もかかる』と元島民の先輩からよく言われた。今つくづくそうだなと思う。今は戦後約80年。その人たちの言葉を借りたら『まだ80年』。あと100年あるかもしれない。時間を考えずに根気よくやらないといけない」

体が動くうちは語り部としての活動を続けたいという得能さん、願うのは生まれ故郷である四島の即時返還です。

*色丹島 元島民 得能宏さん

「今のところは語り部も一生懸命やれるが、この年になったらいつストップがかかるか分からない。もう一回生まれたところに行きたい、そればかり考えている」

「北方領土問題はまだ80年」という言葉が印象的でした。

長期化は覚悟されていたとはいえ、皆さんの年齢を考えると解決に残された時間は

決して長いとは言えません。