# 慰霊祭

原爆投下から79年…岡山市で被爆者会の慰霊祭 県内被爆者の平均年齢は86.5歳【岡山】
2024.07.01

原爆投下から79年…岡山市で被爆者会の慰霊祭 県内被爆者の平均年齢は86.5歳【岡山】

広島と長崎に原爆が投下されて2024年8月で79年となります。その原爆で亡くなった人たちを悼む慰霊祭が岡山市で行われました。慰霊祭には岡山県被爆者会のメンバー約30人が集まり、被爆者の霊を慰めようと40秒の黙とうをささげました。このあと廣信靖之会長が慰霊の言葉を述べ

小学校に米軍機墜落「一歩間違えば私も助からなかった」…事故から65年、沖縄県うるま市で慰霊祭
2024.07.01

小学校に米軍機墜落「一歩間違えば私も助からなかった」…事故から65年、沖縄県うるま市で慰霊祭

 沖縄本島中部の旧石川市(現うるま市)の宮森小学校に米軍ジェット機が墜落し、児童や住民計17人が死亡した事故から65年となった30日、同小で慰霊祭が営まれた。遺族や当時の児童、教員らが、犠牲者の冥福を祈った。 同小卒業生らでつくるNPO法人主催。この日は約300人が参列し、校庭内

18人犠牲の米軍ジェット機墜落事故から65年 うるま市・宮森小で慰霊祭
2024.07.01

18人犠牲の米軍ジェット機墜落事故から65年 うるま市・宮森小で慰霊祭

旧石川市の宮森小学校にアメリカ軍のジェット機が墜落した事故から65年となった6月30日、現地で遺族らが出席して慰霊祭が行われました。この慰霊祭は事故の悲惨さを後世に伝える活動に取り組むNPO法人石川・宮森630会と遺族会が開いたもので、遺族や関係者らが出席して犠牲になった児童を奉

空を見上げ、にじむ悔しさ 米軍機墜落65年 沖縄・宮森小で慰霊祭
2024.06.30

空を見上げ、にじむ悔しさ 米軍機墜落65年 沖縄・宮森小で慰霊祭

 沖縄が米国統治下にあった1959年6月、沖縄県石川市(現うるま市)の宮森小学校に米軍ジェット機が墜落し、児童ら17人が犠牲になった事故から65年となった30日、同小で慰霊祭が開かれ、遺族や住民ら約300人が参列した。昨年11月に米軍嘉手納基地(同県嘉手納町など)に向かっていたオスプレイが鹿児

箱館戦争の戦死者を弔う法要、榎本武揚のやしゃご「榎本の思いを150年間つないでくれてありがたい」
2024.06.30

箱館戦争の戦死者を弔う法要、榎本武揚のやしゃご「榎本の思いを150年間つないでくれてありがたい」

 戊辰(ぼしん)戦争(1868~69年)の最後の戦い、箱館戦争の旧幕府軍戦死者を慰霊する碑前祭が25日、函館山麓にある碧血碑(へっけつひ)(北海道函館市谷地頭町)で行われた。150年近く続く法要に、榎本武揚の子孫らを含む約80人が参列。碑前に手を合わせ、激動の時代に身を投じた旧幕府軍人たちをし

米軍機小学校墜落から65年 慰霊祭「悲惨な事故、二度と」 沖縄
2024.06.30

米軍機小学校墜落から65年 慰霊祭「悲惨な事故、二度と」 沖縄

 沖縄県うるま市(旧石川市)で1959年、宮森小学校に米軍戦闘機が墜落し、児童ら18人が死亡、210人が重軽傷を負った事故の発生から65年となった30日、同小で慰霊祭が営まれた。  遺族や事故体験者、在校生ら約300人(主催者発表)が参列。事故発生の午前10時40分

米軍機墜落65年で慰霊祭、沖縄 宮森小、再発懸念の声相次ぐ
2024.06.30

米軍機墜落65年で慰霊祭、沖縄 宮森小、再発懸念の声相次ぐ

 米軍統治下だった1959年、沖縄県石川市(現うるま市)の宮森小に米軍嘉手納基地のジェット戦闘機が墜落し児童ら200人超が死傷した事故から65年となった30日、同小で慰霊祭が開かれた。沖縄には今なお在日米軍専用施設の約7割が集中し、米軍機が上空を飛び交う。参列者からは墜落事故の再発を懸念する声

米軍機墜落事故から65年 犠牲の子どもら18人を追悼
2024.06.30

米軍機墜落事故から65年 犠牲の子どもら18人を追悼

 沖縄県うるま市(旧石川市)宮森小学校近くの住宅地に米軍ジェット機が墜落し、児童ら18人が死亡(うち1人は後遺症による)、200人以上が重軽傷を負った事故から30日で65年。この日、同小で慰霊祭があり、遺族や当時の生徒らが犠牲者を悼んだ。 300人近くが参列し、黙禱(もくとう)を

「二度と事故が起きないよう願う」 宮森小米軍ジェット機墜落65年 遺族らが慰霊祭
2024.06.30

「二度と事故が起きないよう願う」 宮森小米軍ジェット機墜落65年 遺族らが慰霊祭

 1959年に米軍嘉手納基地を離陸したジェット機が石川市(現うるま市石川)の宮森小学校や周辺住宅地に墜落した事故から、6月30日で65年となった。石川・宮森630会と遺族会は、児童らが犠牲となった宮森小学校で慰霊祭を開き、遺族や当時の在校生、地域住民が参加した。 気温が30度を超

「子供たちは生きたまま焼かれて死んだ。二度と事故が起こらない沖縄を」 石川・宮森小学校へ米軍機墜落から65年 被災者や遺族ら慰霊祭
2024.06.30

「子供たちは生きたまま焼かれて死んだ。二度と事故が起こらない沖縄を」 石川・宮森小学校へ米軍機墜落から65年 被災者や遺族ら慰霊祭

 【うるま】1959年に石川市(現うるま市石川)の宮森小学校と周辺住宅地に米軍嘉手納基地のジェット戦闘機が墜落し、児童を含む住民計18人が亡くなり、210人が重軽傷を負った事故から65年となった30日、同校で慰霊祭が開かれた。被災者や遺族ら約250人が参列し、犠牲者の冥福を祈った。

「世界中に人たちに知ってほしい」静岡空襲日米合同慰霊祭=静岡市
2024.06.29

「世界中に人たちに知ってほしい」静岡空襲日米合同慰霊祭=静岡市

2024年6月で、静岡空襲から79年です。静岡県静岡市の賤機山では、日米合同の慰霊祭が開かれました。今年で52回目となる慰霊祭は、静岡空襲で犠牲になったおよそ2000人の市民とB29の搭乗員23人を追悼するため、毎年、静岡県静岡市の賤機山山頂で行われています。

旧幕府軍の戦死者しのぶ 函館碧血碑で慰霊祭、80人参列
2024.06.26

旧幕府軍の戦死者しのぶ 函館碧血碑で慰霊祭、80人参列

 函館碧血会(大谷仁秀会長)は25日、戊辰戦争の旧幕府軍戦没者を記念する碧血碑(函館市谷地頭町)で、碑前慰霊祭を開いた。約80人が参列し、箱館戦争(1868~69年)で命を落とした旧幕府軍戦死者に思いを寄せた。 箱館戦争の終結後、旧幕府軍戦死者を弔うことは許されず、市中に放置され

元学徒は95歳 慰霊の日の糸満市で「白梅之慰霊祭」
2024.06.25

元学徒は95歳 慰霊の日の糸満市で「白梅之慰霊祭」

慰霊の日の23日、白梅の塔(糸満市)で慰霊祭が開かれ沖縄戦で従軍看護婦として動員され犠牲となった白梅学徒隊の女子生徒22人や戦没者へ祈りが捧げられました。▽白梅継承の会・屋宜光徳さん(91)「女房のおやじが先生だった」「白梅を戦場に駆り出した役目じゃないかな、昔は。

沖縄戦の記憶、心に刻む 慰霊の日、島全体が鎮魂の祈りに包まれ 平和と継承誓う
2024.06.24

沖縄戦の記憶、心に刻む 慰霊の日、島全体が鎮魂の祈りに包まれ 平和と継承誓う

[戦後80年へ] 沖縄は23日、戦後79年の「慰霊の日」を迎えた。20万人を超える沖縄戦の犠牲者の死を悼む慰霊祭が県内各地で営まれ、島全体が鎮魂の祈りに包まれた。激戦地となった糸満市摩文仁の平和祈念公園では、沖縄全戦没者追悼式(主催・県、県議会)があり、県内外から約4500人が参

「戦争二度と」「安らかに」 平和の礎で遺族ら祈り 沖縄慰霊の日
2024.06.23

「戦争二度と」「安らかに」 平和の礎で遺族ら祈り 沖縄慰霊の日

 「慰霊の日」を迎えた23日朝、糸満市摩文仁の平和祈念公園には、早朝から多くの遺族が訪れた。 岸田文雄首相の追悼式参加を受け、多くの警察官が巡回する物々しい雰囲気の中、遺族らは「平和の礎」に刻まれた肉親の名前に向かって手を合わせた。 具志光雄さん(76)=那覇市=は

「今こそ沖縄戦の記憶に向き合って」 ひめゆり学徒隊悼む慰霊祭
2024.06.23

「今こそ沖縄戦の記憶に向き合って」 ひめゆり学徒隊悼む慰霊祭

 沖縄県糸満市伊原の「ひめゆりの塔」前では23日、看護要員として沖縄戦に動員された「ひめゆり学徒隊」の犠牲者を悼む慰霊祭があり、元学徒や遺族ら約190人が参列した。 慰霊祭を主催する同窓会の知念淑子(よしこ)会長(95)が祭文を読み上げ、「多くの尊い命を失った。ご遺族の心中を察す

沖縄戦の悲惨な実相を次世代に継承 首相あいさつ全文 沖縄慰霊の日
2024.06.23

沖縄戦の悲惨な実相を次世代に継承 首相あいさつ全文 沖縄慰霊の日

 沖縄は23日、第二次世界大戦末期の沖縄戦の犠牲者らを悼む「慰霊の日」を迎えた。最後の激戦地だった沖縄県糸満市摩文仁(まぶに)の平和祈念公園で県と県議会主催の「沖縄全戦没者追悼式」が営まれ、参列した岸田文雄首相があいさつした。あいさつの全文は次の通り。        ◇<

平和宣言「戦争を阻止」 元全学徒の会、首里で追悼・祈念祭 沖縄
2024.06.20

平和宣言「戦争を阻止」 元全学徒の会、首里で追悼・祈念祭 沖縄

 慰霊の日を前に、沖縄戦に動員された県内21の旧制師範学校・中等学校の元学徒らでつくる元全学徒の会は19日、「全学徒戦没者追悼・平和祈念祭」を那覇市首里の養秀会館で開いた。元学徒や関係者ら30人以上が戦没者を追悼し、献花した。 昨年まで糸満市摩文仁の平和祈念公園にある全学徒隊の碑

「歴史の風化を恐れなければ」 福岡大空襲79年で慰霊祭
2024.06.16

「歴史の風化を恐れなければ」 福岡大空襲79年で慰霊祭

 福岡大空襲から19日で79年となるのを前に、福岡市中央区大手門3の円応寺では16日、戦災死者の八十回忌慰霊祭が営まれた。円応寺のある簀子(すのこ)地区は特に被害が大きく、空襲で176人が犠牲になったとされる。6歳の時に福岡大空襲を体験した寺の三木和信住職(85)は「経験者の高齢化が著しく、歴

語り継ぐ「戦争マラリア」 波照間島に新たな碑、初の慰霊祭
2024.06.15

語り継ぐ「戦争マラリア」 波照間島に新たな碑、初の慰霊祭

 太平洋戦争末期、沖縄県竹富町の波照間島からマラリアが蔓延(まんえん)していた同町の西表(いりおもて)島に軍命で疎開させられ、住民の約3分の1がマラリアで亡くなった「戦争マラリア」。15日、波照間島にできた慰霊碑の前で、記念式と初めての慰霊祭があり、悲劇を忘れないようにと当時を知る人や子どもた