「僕はおふくろを殺しちゃったんだ」 体験を語り核兵器廃絶を訴え続けた被爆者・岩佐幹三さんの願いはまだ叶わぬ戦後79年 記憶の継承に立ちはだかる“壁”も

AI要約

金沢大学名誉教授の岩佐幹三さんは、被爆者の記憶を継承し、原爆の記憶を残す活動を生涯を通じて続けた。

岩佐さんは被爆経験を持ち、母を亡くした体験を語り続け、被爆者支援に力を尽くし、資料の収集や整理を通じて記憶を残すことに尽力した。

被爆者の思いや記憶を継承する取り組みは続いているが、将来の記憶の保存には課題が残る。

「僕はおふくろを殺しちゃったんだ」 体験を語り核兵器廃絶を訴え続けた被爆者・岩佐幹三さんの願いはまだ叶わぬ戦後79年 記憶の継承に立ちはだかる“壁”も

「原爆の記憶を残す」「被爆者の記憶を継承する」

2020年9月に91歳で生涯を閉じるまで、その気持ちを持ち続けた金沢大学名誉教授の岩佐幹三さん。

石川県内の被爆者支援の活動に力を尽くし、晩年は原爆にかかわる資料の収集や整理などを通し、記憶を残すことに心を砕いてきました。

岩佐さんのような人たちの思いを継承する取り組みは続いていますが、果たしてこの先も長く記憶は残していけるのか、大きな課題もいま浮き彫りになっています。

■16歳の時広島で被爆 炎が迫る中家の下敷きになった母は般若心境を…

岩佐さんは16歳の時、広島市で被爆しました。爆心地からは1.2キロの距離でした。

岩佐幹三さん「小さい雲が1つ2つある程度。セミがミンミン鳴いていてね、うるさい、暑い朝で。東の方を向いて、小さな畑、半坪ぐらいの畑を見ていた。突然後頭部をバットでガーンと殴られるようなショックを受けてたたきつけられた。バットでたたきつけられたものだと思ったから立ち上がって逃げようとしたら、上からすごい力で押さえつけられて立ち上がれない。目の前を見ようとしたら真っ暗で見えない」

家に目をやると、すでに潰れていました。

岩佐幹三さん「屋根も全部潰れて。向こうにあおむけに倒れていて目のあたりから血を出している母の姿が見えた。だけどこちらからはもう行けない。家に火が燃えていったので。別れを告げたら、母があきらめたのか自分の死を悟って般若心経を唱えだした。戦争中のことなので、いつやられるかはわからないという気持ちはあったろうけど、家の下敷きになって火が燃えてきてじりじりと体が焼けていく。その中に死んでいったと思えば、もうたまらない気持ち」

母は亡くなり、爆心地の近くにいたという12歳の妹とはとうとう会うことができませんでした。

■「僕はおふくろを殺しちゃったんだ」 ぬぐえない思いを語り続ける

原爆投下により母を亡くした岩佐さんは、自らの体験を語るときこのような言葉を使っていました。