在外被爆者援護の「格差」是正に道開く ブラジルの森田隆さん死去

AI要約

広島で被爆し、ブラジルに移住して在外被爆者援護の実現に尽力した森田隆さんがサンパウロの病院で死去した。100歳だった。13日に葬儀が営まれた。

森田さんは広島県砂谷村で生まれ、静岡県で航空隊に入隊し、中国憲兵隊司令部で被爆。戦後ブラジルに移住し、健康管理手帳支給のきっかけで在ブラジル原爆被爆者協会を設立。

被爆者の地位向上に尽力し、裁判を起こすなど、被爆者の権利を訴え続けた森田さんの功績が称賛されている。

在外被爆者援護の「格差」是正に道開く ブラジルの森田隆さん死去

 広島で被爆し、ブラジルに移住して在外被爆者援護の実現に尽力した森田隆さんがサンパウロの病院で死去した。100歳だった。13日に葬儀が営まれた。地元紙などが伝えた。

 森田さんは1924年、広島県砂谷(さごたに)村(現・広島市佐伯区)で生まれた。20歳のとき、静岡県浜松市の航空隊に入隊。志願して憲兵となり、中国憲兵隊司令部に憲兵兵長として配属され、爆心地から1・3キロで被爆した。

 戦後、ブラジルからの帰国者に移民を勧められ、56年にブラジルに渡った。当初は、差別や偏見を恐れて被爆者であることを明かさずに暮らした。84年に日本の被爆者に健康管理手帳が支給されていたことを知り、同年7月に在ブラジル原爆被爆者協会を設立した。

■「被爆者は、どこにいても被爆者」訴え、国相手に裁判