# 太平洋戦争

「女性はトラックに積み込まれ、凍った死体が山積み」ソ連軍の襲撃、87歳男性が語る終わらない戦争
2024.07.03

「女性はトラックに積み込まれ、凍った死体が山積み」ソ連軍の襲撃、87歳男性が語る終わらない戦争

 太平洋戦争中に旧満州(中国東北部)に満蒙開拓団として渡り、引き揚げ中に孤児となった黒田雅夫さん(87)=京都府亀岡市西つつじケ丘=が、南丹市園部町の園部小で講演した。ソ連軍の襲撃や、次々と家族の亡くなった収容所生活について6年生に語り、平和の大切さを訴えた。 黒田さんは亀岡出身

死体をトロッコに乗せて運び大きな穴に…植民地から召集された「日本赤十字社」従軍看護婦が明かす「地獄のような戦場」
2024.06.30

死体をトロッコに乗せて運び大きな穴に…植民地から召集された「日本赤十字社」従軍看護婦が明かす「地獄のような戦場」

前編『皇室と共に歩んだ“博愛精神”の「日本赤十字社」その看護婦は「赤紙」で召集され太平洋戦争で1120人が“戦死”した』から続く 「日本赤十字社(日赤)」の看護婦たちは、アジア太平洋戦争では「赤紙」で召集されて戦場へ送られた。その中には、日本が植民地支配をしていた朝鮮と台湾の看護

米魚雷攻撃で3700人が犠牲…富山丸沈没80年、ひ孫ら県遺族会が冥福祈り、平和誓う 鹿児島市・護国神社
2024.06.29

米魚雷攻撃で3700人が犠牲…富山丸沈没80年、ひ孫ら県遺族会が冥福祈り、平和誓う 鹿児島市・護国神社

 太平洋戦争終盤、鹿児島県徳之島町亀徳沖で米潜水艦から魚雷攻撃を受け約3700人が犠牲になった輸送船「富山丸」の沈没から、29日で80年が経過した。同日、鹿児島県富山丸遺族会の約30人が、鹿児島市の護国神社で犠牲者の冥福を祈った。 富山丸は1944年6月29日、将兵ら約4000人

「僧侶だったから生きて帰れた」と語った父…斬り込み隊の上官が命令「最後までお経を上げてくれ」
2024.06.26

「僧侶だったから生きて帰れた」と語った父…斬り込み隊の上官が命令「最後までお経を上げてくれ」

 太平洋戦争中に米軍機が撮影した全国の空襲映像を次々と発掘し、注目される大分県宇佐市の市民団体「豊の国宇佐市塾」。塾頭の平田崇英さん(75)は、かつて特攻隊が配置され、多くの人が戦死した同市から、平和への思いを伝え続ける。 1948年12月、大分県八幡村(現・宇佐市)で、父・崇徳

「自衛隊配備拡張、県民は不安」 沖縄戦慰霊の日、玉城知事訴え
2024.06.23

「自衛隊配備拡張、県民は不安」 沖縄戦慰霊の日、玉城知事訴え

 沖縄県は23日、太平洋戦争末期の沖縄戦で命を落とした日米双方の約20万人をしのぶ「慰霊の日」を迎えた。旧日本軍による組織的戦闘が終わった日とされ、今年で79年。最後の激戦地となった糸満市摩文仁の平和祈念公園で、不戦を誓い、平和を願う沖縄全戦没者追悼式(県など主催)が営まれ、岸田文雄首相らが参

「沖縄戦」指揮官と遺族の往復書簡――「どうして、あんなに早く」夫を失った妻の慟哭
2024.06.23

「沖縄戦」指揮官と遺族の往復書簡――「どうして、あんなに早く」夫を失った妻の慟哭

 24歳の若さで1000人近い部隊を率い太平洋戦争末期の沖縄で戦った伊東孝一大隊長は、戦後、戦死した約600人の部下の遺族に向け「詫び状」をしたためる。それに対する356通の返信の一葉一葉には、〈人の殺し合いがどれだけ悲惨で残酷なものか〉という真実が刻まれている。伊東から「戦争犠牲者の真実を炙

ニュースワード「沖縄戦」
2024.06.23

ニュースワード「沖縄戦」

 沖縄戦 太平洋戦争末期、沖縄であった国内最大の地上戦。米軍は1945年3月26日に慶良間諸島に、4月1日に沖縄本島中部に上陸し、日米両軍による激しい戦闘が展開された。日本軍は、本土決戦までの時間を稼ぐため、住民が避難していた南部に撤退。多くの住民が戦闘に巻き込まれた。6月23日に日本軍司令官

沖縄戦終結79年、不戦誓う 慰霊の日、犠牲20万人追悼
2024.06.23

沖縄戦終結79年、不戦誓う 慰霊の日、犠牲20万人追悼

 沖縄県は23日、太平洋戦争末期の沖縄戦で命を落とした日米双方の約20万人をしのぶ「慰霊の日」を迎えた。旧日本軍による組織的戦闘が終わった日とされ、今年で79年。最後の激戦地となった糸満市摩文仁の平和祈念公園で、不戦を誓い、恒久平和を願う沖縄全戦没者追悼式(県など主催)が営まれる。式には岸田文

戦争の空襲で障害負った人への救済法案を成立訴え 被害者「最後まで見届けたい」
2024.06.22

戦争の空襲で障害負った人への救済法案を成立訴え 被害者「最後まで見届けたい」

 通常国会が事実上閉会した21日、太平洋戦争の空襲により障害を負った人たちの救済を目指し、与野党の国会議員や当事者らが集まりました。戦後80年を前に次の国会で救済法案の成立を目指しています。「前に進めるにあたっては壁があるのは間違いありません。この壁をぶち壊して何としてでも実現し

岸田首相、沖縄戦追悼式出席へ
2024.06.21

岸田首相、沖縄戦追悼式出席へ

 岸田文雄首相は23日、沖縄県を訪れ、太平洋戦争末期に多くの住民を巻き込んだ沖縄戦の犠牲者を悼む県主催の式典に出席する。 政府が21日に発表した。 

太平洋戦争末期の「西武軍事件」 処刑された米軍捕虜、追悼法要
2024.06.20

太平洋戦争末期の「西武軍事件」 処刑された米軍捕虜、追悼法要

 太平洋戦争末期の1945年6月20日、福岡市にあった旧陸軍の西部軍司令部関係者によって処刑された米兵捕虜らの追悼法要が20日、同市城南区の油山観音で営まれた。捕虜の親族や、処刑に関わった元戦犯の親族などオンラインも含め日米の計約30人が参列し、哀悼の意を表した。 法要は日本各地

サイパンで激戦80年の式典 「日米同盟で平和維持を」
2024.06.15

サイパンで激戦80年の式典 「日米同盟で平和維持を」

 【サイパン共同】米国自治領の北マリアナ諸島のサイパン島で15日、太平洋戦争での日本敗戦を決定付けた「サイパンの戦い」から80年の記念式典が開かれた。激戦を生き抜いた日米の軍人は既にほとんどが世を去り、式典で姿は見られなかった。出席者らは戦争を再び招かないよう悲惨な歴史を語り継ぎ、日米同盟を基

命じておいて信号文も知らない…「無能な司令部」が語った「ミッドウェー海戦」大敗北の「責任逃れな言い訳」
2024.06.10

命じておいて信号文も知らない…「無能な司令部」が語った「ミッドウェー海戦」大敗北の「責任逃れな言い訳」

 私が2023年7月、上梓した『太平洋戦争の真実 そのとき、そこにいた人は何を語ったか』(講談社ビーシー/講談社)は、これまで約30年、500名以上におよぶ戦争体験者や遺族をインタビューしてきたなかで、特に印象に残っている25の言葉を拾い集め、その言葉にまつわるエピソードを書き記した1冊である

宇部大空襲直後の写真に疑義、浜松と酷似 違いは建物の有無だけ、市史や小学校副読本に使用【宇部】
2024.06.07

宇部大空襲直後の写真に疑義、浜松と酷似 違いは建物の有無だけ、市史や小学校副読本に使用【宇部】

 宇部市史や小学校の副読本に掲載されている太平洋戦争中の市街地空襲直後の写真に、疑義が生じている。静岡県浜松市の写真とほぼ同じで、異なるのは写真左下の黒っぽい建物の有無だけ。元小学校教諭の岡本正和さん(71)=厚南中央6丁目=が、宇部大空襲の研究を進める過程で発見。「つかんでいる情報では、宇部

「過去の幽霊を放置すれば現在を抑圧」…太平洋戦争を厳しく批判する展示会=韓国
2024.06.06

「過去の幽霊を放置すれば現在を抑圧」…太平洋戦争を厳しく批判する展示会=韓国

#1.太平洋戦争が勃発すると150人以上の日本の詩人・写真家・哲学者・監督・俳優など文化人が宣伝に動員されて境界地で「文化戦争」を実行した。キャラクター「フクちゃん」で有名な漫画家の横山隆一(1909~2001)も宣伝部隊の一員としてインドネシアに派遣された。横山は1944年最初

遠藤周作「海と毒薬」の題材「九大生体解剖事件」立ち会った医学生が集めた資料、九州大学医学歴史館に
2024.06.05

遠藤周作「海と毒薬」の題材「九大生体解剖事件」立ち会った医学生が集めた資料、九州大学医学歴史館に

 太平洋戦争末期に起きた「九大生体解剖事件」の現場に立ち会った東野利夫さん(2021年に95歳で死去)が収集した資料が、遺族により九州大学医学歴史館(福岡市東区)に寄贈された。同大の石橋達朗学長は一部を常設展示し、授業の教材とする方針を示した。 事件では米軍捕虜8人が実験手術の末

結婚わずか数年で夫は召集。弟は鹿児島湾で戦死…戦時下で弁護士活動が困難になった『虎に翼』寅子モデル・嘉子が選んだ道とは
2024.06.04

結婚わずか数年で夫は召集。弟は鹿児島湾で戦死…戦時下で弁護士活動が困難になった『虎に翼』寅子モデル・嘉子が選んだ道とは

24年4月より放送中のNHK連続テレビ小説『虎に翼』。伊藤沙莉さん演じる主人公・猪爪寅子のモデルは、日本初の女性弁護士・三淵嘉子さんです。先駆者であり続けた彼女が人生を賭けて成し遂げようとしたこととは?当連載にて東京理科大学・神野潔先生がその生涯を辿ります。先生いわく「教師となった嘉子は、入学

沖縄戦など犠牲者の名を刻む「平和の礎」 181人を追加刻銘へ 総数24万2225人に 糸満市摩文仁
2024.05.31

沖縄戦など犠牲者の名を刻む「平和の礎」 181人を追加刻銘へ 総数24万2225人に 糸満市摩文仁

 沖縄県は31日、沖縄戦などで犠牲になった人たちの名前を刻む糸満市摩文仁の「平和の礎」に、ことしは181人を追加刻銘すると発表した。刻銘者の総数は二重刻銘などに伴う削除2人を除き、24万2225人となる。 沖縄県平和・地域外交推進課によると、ことしの追加刻銘者の内訳は県内24人、

旧南洋群島の戦闘で犠牲になった沖縄出身者を悼む 「慰霊と交流の旅」の一行、那覇空港を出発
2024.05.30

旧南洋群島の戦闘で犠牲になった沖縄出身者を悼む 「慰霊と交流の旅」の一行、那覇空港を出発

 太平洋戦争時、日本の委任統治領だった旧南洋群島で、日米の激しい戦闘の犠牲になった県出身者を悼む「慰霊と交流の旅」の一行が30日午前、那覇空港を出発した。23~93歳の戦争体験者やその家族ら25人が沖縄から参加。1日にテニアン島の「沖縄の塔」、2日にサイパン島の「おきなわの塔」をそれぞれ参拝す

「戦争考えるきっかけに」宇佐市で特攻機「桜花」の企画展 部品や隊員の遺書など計68点展示、6月1日には映画上映も
2024.05.26

「戦争考えるきっかけに」宇佐市で特攻機「桜花」の企画展 部品や隊員の遺書など計68点展示、6月1日には映画上映も

 太平洋戦争末期に開発された特攻機「桜花(おうか)」をテーマにした企画展「戦争の記録をつなぐ」が、宇佐市上田の市民図書館で開かれている。8月18日まで。桜花は「人間爆弾」とも呼ばれ、運用する特攻専門の神雷(じんらい)部隊は宇佐海軍航空隊にも配備された。企画展には実際に使われた部品や隊員の遺品な