ウエイトリフティング73キロ級・宮本昌典 父と、天国の母と挑んだパリ五輪

AI要約

日本代表のウエイトリフティング選手、宮本昌典選手がパリオリンピックで6位入賞を果たしたが、目標に向かって家族の支えを背負い挑戦した姿が感動を呼んだ。

母親を亡くした宮本選手は母の遺影を持ち、父や家族の応援を受けながら競技に臨んだ。腰の怪我を乗り越えても意地を見せ、最後までメダルを目指して戦った姿が印象的であった。

宮本選手は悔しさを胸に次回のロサンゼルスオリンピックでのメダル獲得を誓い、家族やファンに感謝の気持ちを示している。

ウエイトリフティング73キロ級・宮本昌典 父と、天国の母と挑んだパリ五輪

9日未明(現地時間8日)に行われたパリオリンピック™のウエイトリフティング。メダル獲得をめざした73キロ級の宮本昌典選手は惜しくも6位入賞に終わりましたが、家族の思いとともに世界最高峰の舞台に挑みました。

会場アナウンス「…JAPAN MIYAMOTOMASANORI…」

集大成の舞台に立った宮本昌典、27歳。

▽宮本昌典

「ウエイトリフティングをやっている子たちにも見せてあげたい、メダルを取った姿を見せてあげたいというのが、自分の役目だと思っていたので」

日本男子ウエイトリフティング界40年ぶりのメダル獲得を狙う宮本。

そんな彼を見守る家族の姿がありました。父・裕二さん。そしてもう一人…

▽父・裕二さん

「東京のときは一緒に応援できなかったんですけど、ぜひ一緒に応援に行こうよという感じで遺影をもってきました」

宮本の高校時代の食卓をのぞくといつも多く手料理が…競技をする息子を支えてきた母・由美子さん。

2021年12月、肺がんで亡くなりました。

▽宮本昌典

「お母さんが亡くなってずっと、自分の中では見守ってくれているんだと思ってやっているので、パリオリンピックも見守って、自分の活躍する姿を見てくれればと思います」

母と父の応援を背に。スナッチ2回目、151キロに挑んだ宮本。

▽実況

「…踏ん張る、ふんばる、挙げました宮本… 成功ですね」

しかし、大会の1か月半前に腰を痛めていた宮本。挙げればメダル争いで有利に立つ155キロの試技でしたが、腰からのしびれがお尻にきていたといい、バランスを崩し、惜しくも失敗します。

  

それでも、クリーン&ジャーク2回目187キロを挙げ、意地を見せると。

3回目に申告したのは自己ベストを1キロ上回る193キロこれを挙げれば、銅メダル。

惜しくも挙がらず。

結果は、パリ五輪6位。

▽父・裕二さん

「ここまで芯が強い子になるとは思っていなかった。結果はあるけど、くじけずにここまで頑張ってきて、そして世界の頂点を目指した。誇らしく思います」

母・由美子さんは今、何を思うのか…

「多分涙ぐんで、また次を期待するよって言っているんじゃないかと思います」

両親の応援を受け、自身の成長を実感したという宮本。試合後、その悔しさと新たな目標を語りました。

▽宮本昌典

「悔しいですし、期待させた分申し訳ないですけど、次ロサンゼルスは応援に来てください。もっと力を倍増してロサンゼルスではメダルを取ります」