星稜元監督・山下智茂さんを変えた“箕島・星稜戦” 箕島・尾藤公監督から学んだ「待つ、信じる、許す」 甲子園・高校野球名勝負のその後

AI要約

1979年、全国高校野球選手権の箕島対星稜は、延長18回の死闘の末に箕島がサヨナラ勝ちを収めた試合で、山下智茂監督が大きく変わるきっかけとなった。

戦前日、尾藤監督との喫茶店でのジョークから始まった“舌戦”が印象的で、試合後は悪夢にうなされるほどのストレスが残った。

また、箕島との対戦を通じて、山下監督は尾藤監督の笑顔から新たな考え方を学び、自らの指導スタイルを見直すこととなった。

星稜元監督・山下智茂さんを変えた“箕島・星稜戦” 箕島・尾藤公監督から学んだ「待つ、信じる、許す」 甲子園・高校野球名勝負のその後

高校野球ファンの記憶にいつまでも残る、全国高校野球選手権の「箕島対星稜」

1979年8月16日、延長18回の死闘の末、和歌山県の箕島が石川県の星稜にサヨナラ勝ちをおさめた一戦です。

この試合をきっかけに、指導者として大きく‟変身”を遂げたのが、星稜高校の山下智茂監督でした。

「史上最高の名勝負」と謳われた試合は、前日の舌戦から始まっていました。

■試合前日の“舌戦” 喫茶店で山下監督「僕はミルクです。あすは僕勝ちますよ」

試合の前日、山下監督と箕島・尾藤公監督の2人は甲子園球場の喫茶店で一緒になりました。

尾藤監督がコーヒーを飲んだのに対し、山下監督が注文したのはミルクでした。

山下智茂さん「尾藤さんコーヒーですね。僕はミルクです。あすは僕勝ちますよ。僕は白で尾藤さんは黒。そういうジョークを飛ばしながらやってましたよ」

ゲン担ぎをした山下さんでしたが、試合は真逆の結果になってしまいました。

■負けた試合後に山下監督が見た夢 「警官がピストルで…」

壮絶な延長18回の戦い、指揮官もストレスは相当なものだったのか、試合後に床についた山下監督を“悪夢”が襲いました。

山下智茂さん「警察が僕を追っかける。『なぜ負けたのか』と。僕は下駄をはいて北陸トンネルを逃げるとピストルでパーンと打ちながら『待て待て』と言う。たどりついたのが(石川県の)内灘海岸で、浜に入って海の水を飲んで『うわーっ!』って言ったら、(現実の枕もとで)部長がパーンってたたいて、『どうしたんや』と言って起こされた」

■強烈な思いを残した箕島・星稜戦 「器が違うな」尾藤監督に抱く感情

山下さん自身、当時は選手たちをスパルタで鍛え上げて、甲子園出場を果たすなど結果を出してきました。

しかし、箕島との一戦で考え方を大きく変えることになります。

山下智茂さん「尾藤監督の笑い。なんで笑うのか。それを試合後帰ってから、玄関に鏡を置いて研究したんですよ。尾藤監督の笑いの中に『待つ、信じる、許す』ことができる監督だな、と。僕と器が違うな」