シマ消滅の危機 阿多地集落、常住人口ゼロに 無居住化に見る島の前途 鹿児島県・加計呂麻島

AI要約

奄美大島の瀬戸内町、加計呂麻島の阿多地集落で常住人口がゼロになる珍現象が初めて発生

奄美地域で限界集落とされる集落が増加し、阿多地もその一つ。集落機能の維持が困難な状況。

阿多地の村田さんが集落の存続に奔走するも、一人力では限界を感じている状況

シマ消滅の危機 阿多地集落、常住人口ゼロに 無居住化に見る島の前途 鹿児島県・加計呂麻島

 鹿児島県奄美大島の瀬戸内町が4月5日に公表した3月末の人口世帯集計で、町の西側にある加計呂麻島の阿多地集落の常住人口がゼロになった。町制施行67年で初。人口減少や少子高齢化が著しい奄美では今後、「無居住化」する集落(シマ)が増えることが予測される。集落機能が失われ、消滅が危惧される阿多地を訪ねると、将来的な再興に向けた土地の保持にはインフラ整備をはじめとするさまざまな課題が山積していた。 

 総務省の過疎地域における集落現況把握調査(2019年4月時点)で、65歳以上の高齢者が集落人口の半数超となり、社会的共同生活の維持が困難な「限界集落」は全国2万372カ所に及ぶ。奄美地域は全323集落のうち90カ所が限界集落に該当。集落機能の維持が困難なのは26集落で、10年以内に無人化(消滅)の可能性があるのは7集落との試算が示されている。

 阿多地は加計呂麻島の西側に位置し、集落の中心部には、シンボルであるデイゴの巨樹がたたずむ。傍らには、古式ゆかしい祭儀が執り行われてきた県有形文化財「アシャゲ」(阿多地、須子茂、三浦集落3棟指定)が建っており、島の原風景をとどめている。

 阿多地の人口は「瀬戸内町誌・歴史編」で、1915(大正4)年の人口調査「46世帯、217人」という記録が残る。10世帯を割ったのは85(昭和60)年から90(平成2)年の時期。以降、減少が続き、今年4月に世帯数0になった。

 現在、阿多地出身の村田満弘さん(66)が将来的に実家へ戻る意志を示していることから、嘱託員(区長)を務める。村田さんは50歳の時に加計呂麻島に戻り、5年間は阿多地に住んで瀬相集落の職場に通っていたが、親の介護が必要となってからは緊急時にも対応可能な俵集落へ住まいを移した。

 阿多地へは最後の住民だった90歳代の女性が暮らしていた頃、月1回ほど家の手入れなどのために訪れていたが、常住人口ゼロとなった今は荒廃を防ぐため、週末ごとに足を運ぶ。午前5時起きで弁当を持ち、集落の大通りや集会場、神道(カミミチ)の草刈りに当たるが、一日がかりでも終わらないという。

 作業はそれだけにとどまらない。共同墓地や納骨堂、慰霊碑の清掃、アシャゲや土俵の維持管理など、すべてを一人でこなす。村田さんは「時々帰省する出身者や観光客からは『ここはとてもきれいな場所だ』と言ってもらえるが『きれい』ということは『人の手が入る』ことで維持される。それをどこまでするのか、できるのか…一人の力では限界がある」と苦しい胸中を吐露。

 また、村田さんは「正直、少子化や過疎化などでゆくゆくは消滅する可能性はあるだろうと予期はしていたが、まさか自分の世代でその危機に直面するとは思ってもみなかった」とも語る。

 差し迫る〝消滅〟を目の前に、「集落を絶えさせてもよいかと考えたとき、やはり自分の代ではつぶせない」と、集落を守ることへの重責が村田さんにのしかかる。