「馬毛島を見ると父の背中を思い出す」…自衛隊基地整備着工1年半、恵みの海を奪われた地元漁師は、人生の追憶までも失うことに抗って、ただ一人反旗を翻す

AI要約

鹿児島県西之表市馬毛島の自衛隊基地建設が始まって1年半が経過し、島の風景が大きく変わりつつある。

地元漁師たちは工事差し止めを求め、漁業に与える影響を懸念して裁判を起こしているが、開発は進行中である。

馬毛島にかける想いや複雑な思いが、地元漁師たちの間で様々な意見を引き起こしている。

「馬毛島を見ると父の背中を思い出す」…自衛隊基地整備着工1年半、恵みの海を奪われた地元漁師は、人生の追憶までも失うことに抗って、ただ一人反旗を翻す

 鹿児島県西之表市馬毛島の自衛隊基地が本格着工して12日で1年半が経過した。島の緑は消え、海岸には仮設桟橋が延びた。同市の漁師浜田純男さん(69)は3月、「父と過ごした島と海を次世代に引き継ぎたい」と工事差し止めを求め一人で国を提訴した。建設会社が島で採石事業を始めた20年以上前から共に声を上げてきた先輩たちは高齢となり、裁判から退いた。地元漁師の間には憤りと諦めが交錯している。

 西之表市塰泊(あまどまり)の漁港は約10キロ先に馬毛島を望む。6月下旬、陸に揚げている父・嘉三太(かそうだ)さん=90歳で2018年に逝去=の漁船のそばで浜田さんが漏らした。「馬毛島を見ると父の背中を思い出す」

 雨靴で力強く地面を踏む嘉三太さんに背負われ、島の草原を進んだ。岳之腰(標高71メートル)を上った帰り道に迷った浜田さんを嘉三太さんが迎えに来た六十数年前の幼少期の記憶だ。

 当時、馬毛島の沿岸にはわらぶき屋根の小屋が立ち並んでいた。西之表の漁師の拠点で春から初夏まで生活の場を移し、トビウオやトコブシを採った。浜田さんが生まれ育った塰泊の住民は、葉山港を中心に漁業を営んだ。

 馬毛島の大部分を所有していた民間会社は1998年、採石事業計画を発表した。浜田さんら塰泊の漁師は漁への影響を懸念し、複数の民事訴訟を起こした。漁師が減り、季節移住はしなくなったが、大切な漁場であることに変わりはなかった。だが、開発は止まらなかった。2019年、政府は馬毛島を160億円で買収することに合意、23年1月に本体工事を始めた。

 葉山港は物資搬入の拠点となった。最高地点の岳之腰は最終的には30メートルほどの高さに削られる。現時点で、27年11月末まで東側の制限区域約1100ヘクタールで漁ができず、うち約100ヘクタールは港湾施設整備で漁業権は消滅する。種子島漁協には約22億円の漁業補償が支払われることになった。

 浜田さんは補償を受け取らず工事差し止めを求める裁判を再び起こした。「国を守るため基地は必要かもしれない。でも愛着のある場所を失う住民が納得しないまま開発していいのか」

 月明かりが照らす凪(なぎ)の日、嘉三太さんと馬毛島周囲の浅瀬でイカ釣りをするのが楽しみだった。船を低速で走らせ、餌木を引いて当たりを待った。「遠浅で高齢者もゆっくり漁ができる場所だった。そんな生活はできなくなった」と嘆いた。

 塰泊の海岸では浦頭長五郎さん(86)が海を眺めていた。今も息子と漁に出る。かつて裁判に参加した一人。今回は加わっていない。手術を重ね体力が落ちた。国が関わったら止められないとも思った。「腹が立つし悲しいから馬毛島のことは考えたくない」

 別の男性漁師は基地計画に賛成している。「燃料やえさの値段は上がったのに魚は減った」。今は安定した収入が得られる馬毛島関連の業務を請け負う。それでも合間に漁に出る。「いずれ基地の仕事はなくなるし、漁は好き。いろんな思いを抱えているんだよ」と、えさにする魚をさばきながら話した。