悲しみも一緒に今を生きる 広島土砂災害10年 夫と次女亡くした木原さん 周囲の支えに感謝

AI要約

広島市内で77人の犠牲者を出した広島土砂災害は20日、発生から10年を迎えた。遺族たちは悲しみを乗り越え、生活を再建してきた。被災地では追悼行事が営まれ、防災の誓いが新たにされている。

安佐南、安佐北の両区を襲った線状降水帯による土砂災害では、多くの家が被害を受け、77人が犠牲となった。被災地では慰霊碑が建てられ、教訓が継承されている。

木原奈美子さん(58)は夫と次女を失った遺族の一人。10年を経ても悲しみは消えず、周囲の支えに感謝しながら生きてきた。被災からの10年間を振り返りながら、再建の道を歩んできた。

悲しみも一緒に今を生きる 広島土砂災害10年 夫と次女亡くした木原さん 周囲の支えに感謝

 広島市内で77人の犠牲者を出した広島土砂災害は20日、発生から10年を迎えた。被災地の各地で追悼行事が営まれ、鎮魂の祈りと防災の誓いに包まれる一日になる。第1子誕生が間近だった新婚夫婦、幼い兄弟、夢を追いかけていた高校生…。大切な人を失った遺族たちは癒えぬ悲しみを乗り越え、今を生きる。

 2014年8月20日未明、線状降水帯による猛烈な雨が安佐南、安佐北の両区を襲い、土石流が多くの民家をのみ込んだ。被災地には慰霊碑や記念碑が立ち、住民たちが体験と教訓の継承の取り組みを続けている。

 被害が最も大きかった安佐南区八木3丁目。18日の献花式に出席した木原奈美子さん(58)が手を合わせ、犠牲になった夫と次女に語りかけた。「10年後なんて想像もつかなかった」。残った家族3人で必死に生きてきた。自宅も再建した。それでも心に空いた穴が埋まるわけではない。「ここまで頑張ってこられたのは、たくさんの支えがあったから」

 毎年のように自宅を訪ねてくれる夫の仕事仲間や次女の同級生。夫の同僚は15日、自宅の仏壇に手を合わせてくれた。夫を「会社の応援団長」と言って、昔話に花を咲かせてくれる。節目の20日には次女の友人もやって来る。20代後半になった彼女たちは結婚したり赤ちゃんがいたり。それでも忘れずにいてくれる―。その事実がどれだけ励ましになったことか。感謝の思いを新たにする。

 「天国の2人も、ようやく安心してるかな」。2014年8月20日の広島土砂災害で夫と次女を亡くした木原奈美子さん(58)は、穏やかにほほえんだ。心に空白を抱えたまま、残された家族のため生活再建に努めた10年。助け合い、周囲の支えに感謝しながら生きてきた。

 あの日。家族5人で暮らしていた広島市安佐南区八木3丁目の自宅が土石流に襲われ、夫の幹治さん=当時(46)=と次女の未理さん=同(17)=を亡くした。建築会社に勤めていた幹治さんが現場監督をして建てた自宅は全壊した。

 当時20歳の長女、同14歳の三女と3人で悲しみにくれた。「忙しくしていたほうが、いろいろと考えずにいられた」。1カ月後には近くに部屋を借り、美容師の仕事を再開した。生活再建の手続きも進めた。

 被災から3年後、自宅跡の近くに新たな家を建てた。夫が手がけた自宅を再建すれば、天国で安心してもらえるような気がした。かなわない願いでも「5人でまた一緒に暮らしたい」。未理さんの部屋も設けた。

 10年間は、長いようにも短いようにも感じる。ただ「駆け抜けてきた」とは思う。生活が落ち着いてこそ、ふいに悲しさが込み上げる。「タイムマシンであの時に戻れたら、避難を呼びかけて家族全員を守ることができるのに」

 被災して、周りへの感謝がより身にしみるようになった。夫の仕事仲間や近所の人たちが、自分たち家族をわがことのように心配してくれた。変わらぬ態度で食事に誘ってくれる友人、職場の同僚やお客さんを通じてさまざまな支援を届けてくれた多くの人たち。「次々と顔が浮かんでくる」。毎年欠かさず追悼行事を開く地域のボランティア団体や自治会にも励まされてきた。

 昨年12月に結婚した未理さんの同級生は、披露宴のテーブルに未理さんの写真を置いた。参列した友人たちとの記念撮影には、写真の中でほほえむ未理さんが加わった。

 18日の献花式を終え、心の中は穏やかだった。2人の笑顔が並ぶ仏壇を見つめる。「前を向きながら人生を歩もう」。自らに言い聞かせるように語りかける。

 広島土砂災害 ​2014年8月20日未明、広島市安佐南、安佐北区を襲った集中豪雨による災害。大規模な土石流や崖崩れが計166カ所で発生し、災害関連死の3人を含め、2~89歳の77人が亡くなった。住宅の被害は全半壊396棟を含む4749棟。国や広島県は両区の99カ所で砂防・治山ダムの整備や崖崩れ対策の工事をした。積乱雲の通り道ができる「線状降水帯」が注目され、気象庁が予報に取り組む契機になった。