あの立入禁止の孤島に、僕でも行けるんですか? 異色の訪問記「硫黄島からのメール」

AI要約

東京の都心から南へはるか1250㎞に位置する硫黄島でのアルバイト体験を通して、厳格な島の生活や仕事内容について描かれたノンフィクション。

アルバイト面接から自衛隊基地での説明会、そして実際の働き方や同僚たちとの出会いまでを詳細に描かれている。

様々な背景や年齢層の男性たちが集まる中、硫黄島でのバイト生活がどのような展開を見せるのか、物語の幕が切って落とされる。

あの立入禁止の孤島に、僕でも行けるんですか? 異色の訪問記「硫黄島からのメール」

東京の都心から南へはるか1250㎞。ここで日米両軍が繰り広げた死闘は、クリント・イーストウッド監督の傑作映画にも描かれ、世界中によく知られている。一般人が観光で訪ねることのできないこの小さな島に、ひょんな偶然で行けると知った「私」が見たものとは──。「世界でいちばん遠い島」への探訪ノンフィクション。

今から8年前のことである。

2月のある寒い日の朝、私はアルバイトの面接を受けるため、東京・市ヶ谷にあるホテルを訪れた。ロビーで待ち合わせていた友人の山田君は先に来ており、スーツを着ていた。私はジャケットを羽織っているものの、カジュアルな格好だ。

やがて、宮川さんという私たちと同年代の男性が、いつものように穏やかな笑顔で現れた。山田君と私をこのアルバイトに誘ってくれた人物だ。私たちは「おはようございます」と挨拶して、3人で面接会場の部屋に向かった。

市ヶ谷には以前、防衛庁(現・防衛省)があったせいで、同庁関連の建物が今もいくつかある。ホテルもその一つだ。私たち3人は簡単な面接を終え、ホテルから防衛弘済会という、やはり防衛庁の関連団体のビルへ移動した。これからアルバイトの説明会に参加するのだ。

説明会が行われる会議室には、教室のように机と椅子がずらりと並んでいて、30~40人くらいが入れそうだった。その入口で渡された書類は、A4の用紙3枚。ざっと読んでみると、いかにも役所が作るお堅い文書という雰囲気なのに、見慣れない用語がいろいろ並んでいる、風変わりなものだった。

たとえば2枚目の「島内心得」と題した紙(下の写真)。この中には「ジャングル内での行動」という項目があり、「方向感覚を失った場合は、高いところに登って方向を見定める等、落ち着いて対処する」と記されている。「入壕時の注意」という項目の説明は、「必ず2人以上で行動する」だった。

「ジャングル」や「入壕」の他にも、「不発弾」「ムカデ」「アフリカマイマイ」「メジロの捕獲禁止」など、他のアルバイトの説明書ではあまりお目にかかれないであろう単語やフレーズがいくつも書かれていた。そして最後の行に、働く現場となる場所について、「自衛隊基地です。リゾート地では、ありません」と大きく太字で記してあった。

やがて会議室で腰を下ろした私たちの前に、80歳くらいと思しき男性が立ち、説明を始めた。彼はまず、笑顔も見せずにこう言った。

「お前ら、刺青なんか入れてないだろうな。それから、海で泳いじゃダメだからな。サメがウヨウヨいるから。あと、弾を持って帰ったら、祟りがあるから絶対ダメだぞ」

この老人が、アルバイトの仕事内容と島における生活の注意事項を説明する係だった。名前は下司(しもつかさ)というそうで、自衛官の中でもかなりの上官であったことを想像させる厳格な口調には、強い東北なまりがあった。

そして下司さんは「硫黄島は自衛隊基地だということを忘れるなよ」と、「島内心得」の最後に書かれていたのと同じようなことを口にした。そう、硫黄島──東京の都心からはるか1250㎞も離れた太平洋の孤島こそ、私がアルバイトで赴く島だったのだ。

私たちは、硫黄島の自衛隊基地で働くことになっていた。具体的には、私は「調理及び調理補助業務」を担当し、1日8時間働く。シフトは朝4時からの3交代制で、日当は1万円。その労働に従事しながら、2週間弱、自衛隊の宿舎で寝泊まりするのだ。

集まった面々は、私たちを含めて総勢30人ほどで、さまざまな人がいた。

何度もこのバイトに来ていることが雰囲気からわかる、戦争マニアか戦跡オタクと思われる中年男性。明らかにリゾートバイトと勘違いして来ている、茶髪のギャル男の2人組。プロレスラーの長州力に顔がそっくりな自称「フリーの指揮者」。白髪の中年男性で、これも自称「劇作家」……。

年齢も職業もバラバラで、正直なところ何者かよくわからない人もいる、男ばかりのメンツだった。

私にとって、飲食のバイトは学生時代以来だった。十数年ぶりになるな、とふと思った。