「京大生」の立場は、自分の努力だけで得たものではない…大学受験に至る前に厳然とある「生まれ」による教育格差

AI要約

教育格差をテーマにした京都大学の授業で、学生たちは生まれからくる不公平やジェンダーの問題について考察しました。

形式的な平等の裏に隠された不公平や、ジェンダーに関する偏見に気づいた学生たちは、日常生活や将来の子育てに役立つ知識を得たことを実感しました。

教育格差やジェンダーの問題が社会全体に及ぼす影響について議論した学生たちは、知識の活用と啓発の重要性を再確認しました。

 生まれという初期条件によってもたらされる「教育格差」。ここにスポットライトを当てた京都大1年生の授業が、2024年度前期に開かれた。高校までの日常・学校生活を振り返り、そこに潜む教育格差の存在に気づくことで、京大生たちは何を学んだか。全8回にわたる連載の最後となる今回は、京大生たちが授業を通して得た気づきについて振り返った。学生たちのディスカッションを「実況中継」風に紹介する。

 (岡邊 健:京都大学大学院教育学研究科教授)

■ 教育格差を学び、実践にどう生かすか

 「教育格差を考える」第4講では、教科書『現場で使える教育社会学──教職のための「教育格差」入門』を用いて学んできた内容の振り返りを行った。お題は次の通りであった。

 (A)「生まれ」に可能性を制限されない社会をつくるために、人々が知るべき理論、データ、研究成果はなんだと思いますか。教科書全体から3つ選び、それぞれの理由を論じてください。

(B)この授業で学んだ理論、データ、研究成果を、どのように自分自身の日々の生活や人生に応用できると思いますか。

 平均的にいえば、SES(親の職業・学歴・収入などで構成される社会経済的地位)の高い家庭で育ってきた京大生たち。彼らは皆、真剣に「お題」に向き合った。ご覧いただこう。

■ “平等な入試”の前に隠された不公平

 岡邊:さて、ほかにはどんな議論がありました? 

 しゅんすけ:ゆうだい君がDiscordに書いてた平等と公平についてが、僕は面白いなと思って。

 例えば受験とかで点数が客観的に付けられて、点数が一定基準を超えた人は合格、超えなかった人は不合格って、形式的にはすごい平等だと思うんですけど、この授業で、教育社会学の知識を学んだことによって、形式的平等の裏には、そこに到達するまでのさまざまな不公平が隠されてるっていうことが分かって。

 努力でさえもそういうことがあるっていうのが分かったのが、すごい有意義だったなって思います。

 けんた:入学試験の平等っていうところで、女子枠を京大で導入するってなった時に「逆に男子を差別してるんじゃないのか」「受験は性別関係なく、平等なんじゃないのか」みたいな意見もあったと思うんです。

 でも、受験を受ける前の段階で、やっぱり女性は不利を被っているのが、事実。「男子差別なんじゃないのか」っていう意見の中には、女子のそういう現状を知らず、「男女は平等だ」という思い込みから来てるのも、一定数は存在すると思う。

 やっぱり人々が、そういう現状を知らないと、格差を埋めるための政策方針が受け入れられづらい。アファーマティブ・アクションが差別だと捉えられてしまうと思いました。

■ ジェンダーを知ることは日常生活に役立つ

 ひろと:ジェンダーは、大人が知っておかないと、子どもにも植え付けてしまうのにつながっちゃうなと思ったので、大切。

 お題Bにつながるんですけど、自分の思い込みとか偏見とかが思ったよりあって…。子どもに教育していく際、大人がそれを子どもに植え付けてしまうようなことが起こってしまい得るので、こういう(ジェンダーに関する)データとかを知っていれば、「自分の思ってたのと違うんだな」って気づけて、活用できるんじゃないかなって思いました。

 岡邊:将来、子どもを持った時の話ですね。あるいは、もっと広く考えてもいいんじゃないですかね。

 例えば職場での同僚、後輩との関係の中で、ジェンダーの問題で、さまざまな情報を知ってることによって、物事が解決する、あるいは円滑な人間関係が促進されるみたいなことって、きっとあると思うんだよね。

 皆さんの普段の日常生活、友人関係みたいなことも含めてあるかもしれない。