深夜のコンビニ駐車場…私の前でベンツが急ブレーキで止まった【タクシードライバー哀愁の日々】

AI要約

子どもの夢としてタクシードライバーになりたいという話は珍しい。

タクシードライバーの厳しい労働条件やイメージが地位を下げている可能性がある。

かつてタクシードライバー不足で祝い金を支給していた時代もあった。

深夜のコンビニ駐車場…私の前でベンツが急ブレーキで止まった【タクシードライバー哀愁の日々】

【タクシードライバー哀愁の日々】#33

「パイロットになりたい」「新幹線の運転士になりたい」「バスの運転士になりたい」などという子どもはいるが、「タクシーの運転士になりたい」という子どもの話を、私は聞いたことがない。パイロット、新幹線の運転士と幼い子どもが言えば、「そう、それはいいね」と親も笑って答えるだろうが、もし子どもの夢が「タクシードライバー」だったら、そうはいかない。たとえ幼い子のたわいもない夢だったとしても、ほとんどの親は「やめておいたほうがいい」と言いたくなるに違いない。

 なぜなら、タクシードライバーが決して恵まれた職業ではないことを知っているからだ。勤務時間は過酷、給料は歩合制、ボーナス、退職金はないに等しい、煩わしい接客、ときに身の危険も伴うとなれば、親として子どもにはすすめられないのは当然のことだ。現在はともかくとして、ひと昔、ふた昔前のタクシードライバーのなかには、人品、人柄にクエスチョンマークの付く人物が少なくなかったことも無関係ではないだろう。

 なりたくてなる職業でないことは、いまも昔も変わらない。人手不足は日常的で、たとえば20年ほど前、私が勤務していた会社でも、ドライバー志望者を紹介すると5万円が紹介者に支給されていたことがある。さらに正社員登用となるとさらに5万円、計10万円が支給された。多くのタクシー会社も同じように人集めをしていた。

 当然、すでに2種免許を持っている志望者にも、入社にこぎつければ20万円ほどの“祝い金”が支払われていた。何も知らない、2種免許もない新人を育てる手間を思えば、即戦力だから20万円程度の出費はそれほど痛くはなかったのだ。

 当時、タクシー会社のこの“弱み”をうまく利用する「渡り鳥ドライバー」もいた。入社祝い金を狙って2、3年でタクシー会社を転々と渡り歩くのだ。どういうライフスタイルなのかは知らないが、真面目だけが取りえで、安定志向、おまけに老母をかかえてその生活を支えなければならない私には真似のできる芸当ではなかった。1シーズンに複数球団を渡り歩くことが珍しくない高給取りのメジャーリーガーではないのだから……。

■パンチパーマ、サングラス、上下白のジャージーの男の正体は?

 私の勤めていた大手タクシー会社には、こうした「渡り鳥ドライバー」はさほど多くはなかったが、“コイツ、渡り鳥だな”と感じるドライバーも何人かいた。

 ある夜の10時ごろ、小腹がすいたので浅草の路地裏のコンビニでお茶と菓子パンを買って車に戻ろうとしたときのこと。真っ白なベンツが急ブレーキをかけて私の前で止まった。降りてきたのはガタイの大きな男。パンチパーマ、夜なのにサングラス、上下白のジャージー。“その筋の人”と私は警戒した。以前、この付近でこの手の客を乗せて味わった恐怖体験がよみがえる。私の駐車の仕方に何か問題でもあったのかとも感じ始めていた。男が私に近づいてくる。私は緊張した。

 ところが「どうも」とその男が会釈する。私がキョトンとしていると「しばらくです、内田さん。稼げてますか」とサングラスをとりながら親しげに話しかけてくる。なんと男は、かつて同じ営業所にいた後輩だった。事情を理解した私は「なにが稼げてますかだ、脅かさないでよ。初めからサングラスはずせ」と言い返した。さらにホッとして、「いま、何しているの?」と聞いた。「姉が近くでスナックやってるんで、その手伝いをしてるんですよ」と人懐っこい声で答えた。

 彼は“渡り鳥”の一人だったが、いまは定住の“巣”を見つけたようだ。別れしな、私は「その格好で店にいれば立派な用心棒だ」とちゃかしながらエールを送った。

(内田順三/前巨人巡回打撃コーチ)