戦術家・蒲生氏郷が築いた松坂城が「来てよかった」と思える理由、縄張の緻密な技巧性と石垣の「すっぴん」の美しさ

AI要約

松坂城は独特の縄張りと美しさで魅力的な城である。

城の縄張は巧緻であり、城内部分も戦略的な配置が施されている。

松坂城は観光施設や復元建物が少なく、古城の魅力を存分に味わえる。

 (歴史ライター:西股 総生)

■ タイトにして巧緻な縄張

 筆者が、人から聞かれて答えに困る質問に「好きな城はどこですか?」というのがある。 城の面白さとは、一つ一つが他と違って個性的であることだと思っているので、どこかの城を他と比較して「A城の方がB城より面白い」とか「B城の方がC城より好き」みたいに感じたことがないのだ。強いていうなら「そのとき見ている城がいちばん好き」となるのだが、この答えは少々キザで、口にしにくい(笑)。

 とはいえ、歩いていて「楽しいなあ」「来てよかったなあ」と、しみじみ感じた城はある。その代表が、伊勢の松坂城だ。

 松坂城を築いたのは蒲生氏郷である。近江に生まれた氏郷は、織田信長・豊臣秀吉に仕えて頭角をあらわし、天正16年(1588)、石垣造りの堅固な城を松坂に築いた。ほどなく会津に大封を得て転じたために、氏郷が松坂にあったのはわずか2年でしかないが、城の基本はこのとき整えられたものだ。

 城の縄張は、タイトにして巧緻。本丸に向かう通路は屈曲を繰りかえし、まるで城域全体が枡形虎口の連鎖で構成されているようだ。櫓台や横矢掛りも随所に配されているから、城兵が正常に配置されていたなら、本丸までたどり着くのは絶望的に不可能と感じる。

 逆に城兵の立場で石垣の上に立ってみると、自分が何を狙い、どう戦えばよいのか、いちいち考えなくても理解できるようになっている。城とは人がいて初めて機能するものだが、すぐれた城は人を防禦システムの歯車として機能させるらしい。

 「縄張の緻密な技巧性」という意味において松坂城は、津山城・甲府城と並んで全国でもベストに指折ることができるが、3つの中では松坂城がいちばん古い。こんな城を造りあげた蒲生氏郷という武将は、やはり当代屈指の戦術家だったのだろう。

■ 「すっぴんの美しさ」を楽しめる城

 筆者がこの城に惹かれる理由は、他にもある。城を城として鑑賞する上で、余計な物がないことだ。松坂は、江戸時代には紀州徳川家領に組み込まれて城代がおかれ、どちらかというと商都として栄えた。そんな事情もあって、今では小さな地方都市となってしまったが、そのおかげで(市の財政規模が大きくないので)余計な整備がされていない。

 集客のための観光施設だとか、復元建物(櫓や門)といった、夾雑物がない。おかけで古城らしい雰囲気や、石垣の「すっぴんの美しさ」といったものを、存分に味わうことができる。所詮は土建行政でしかない「地域興し」とやらが横行したおかけで、古城の情緒や「すっぴんの美しさ」を楽しめる城は、全国に数えるほどしかなくなってしまった。

 もう一つ、筆者が惹かれるのは、松阪が梶井基次郎の短編『城のある町にて』の舞台であること。梶井は、『檸檬』をはじめとした珠玉の短編小説を残して31才で逝ってしまったが、大正14年(1924)に、姉の婚家である松阪に転地療養したことがある。『城のある町にて』は、その晩夏の日々に題材をとった美しい短編小説なのだ。

 松坂城は余計な整備がなされていないおかげで、今も梶井の頃とあまり変わっていないように感じられる。作中に書かれたイメージを、そのまま目の前の情景に重ねながら、散策することができる。こんな感興を得られる城は、なかなかない。

 暮色に染まってゆく城下の風情を眺めながら、暗くなるまで石垣の上に佇んでいたくなる……松坂城は、そんな城なのである。

 [参考図書]蒲生氏郷はなぜ会津に封じられたのか?  などなど、戦国武将たちの人事・出世のリアルに興味のある方は拙著『戦国武将の現場感覚』(KAWADE夢文庫)をぜひ、ご一読下さい。