# 戦国時代

鎌倉街道見張る要衝地 「四ツ山城」(前編) 埼玉のお城 出陣のススメ 山城ガールむつみ
2024.07.05

鎌倉街道見張る要衝地 「四ツ山城」(前編) 埼玉のお城 出陣のススメ 山城ガールむつみ

戦国時代の幕開けとともに華々しく歴史の舞台に登場し、長尾景春の乱の鎮圧などで関東を代表する武将としてその名を残した太田道灌は、文明18(1486)年7月26日、糟屋館(神奈川県伊勢原市)で主君扇谷上杉定正に殺されました。伝えによると、最期の言葉は「当方滅亡」だったといい、この言葉は諸説あるもの

大沢たかお「このために6年王騎を演じてきた」 『キングダム』最終章は忘れられないエピソード
2024.07.05

大沢たかお「このために6年王騎を演じてきた」 『キングダム』最終章は忘れられないエピソード

 原泰久の累計発行部数1億部を突破する人気漫画を山崎賢人(※「崎」は「たつさき」)主演で実写映画化したシリーズの第4弾『キングダム 大将軍の帰還』(7月12日公開)で、原作ファンの間でも人気の高いキャラクター・王騎を演じた大沢たかおが、6年にわたって演じてきたシリーズの最終章に込めた想いを明か

石田三成が最高の布陣を敷いた関ヶ原で負けた納得の理由…「自分は正しい」が強すぎて人心掌握に失敗
2024.07.03

石田三成が最高の布陣を敷いた関ヶ原で負けた納得の理由…「自分は正しい」が強すぎて人心掌握に失敗

天下分け目の関ヶ原の戦い。豊臣家側の西軍を率いた石田三成は、徳川家康率いる東軍に敗北し、捕らえられて斬首された。歴史書を読んできた経営コンサルタントの増田賢作さんは「三成は、段取りや配置など企画力には秀でていたものの、人的なケアが不十分で、西軍の他の武将がついてこなかった。現代でも自分の正義を

魏・呉・蜀の諸葛氏を絶滅させた「司馬一族」の強さの秘密
2024.07.02

魏・呉・蜀の諸葛氏を絶滅させた「司馬一族」の強さの秘密

 約1800年前、約100年にわたる三国の戦いを記録した歴史書「三国志」。そこに登場する曹操、劉備、孫権らリーダー、諸葛孔明ら智謀の軍師や勇将たちの行動は、現代を生きる私たちにもさまざまなヒントをもたらしてくれます。ビジネスはもちろん、人間関係やアフターコロナを生き抜く力を、最高の人間学「三国

秀吉の中国大返しは偶然ではない…驚異の段取り力で信長が討たれるストーリーを想定し情報網を張っていた説
2024.07.02

秀吉の中国大返しは偶然ではない…驚異の段取り力で信長が討たれるストーリーを想定し情報網を張っていた説

豊臣秀吉は主君の織田信長が本能寺で討たれたと聞き、遠征中の岡山から京都へ驚異的な速さで取って返した。歴史の知識を活かした経営アドバイスをしている増田賢作さんは「秀吉の『中国大返し』には、天下を取りたければちょっとでも早く動くべきだという学びがある。現代のビジネスマンも、秀吉の情報収集力と段取り

信長は仕事をこなせるハイスペック上司だから家臣のミスを許せなかった…本能寺前年に起こった震撼の処刑劇
2024.07.01

信長は仕事をこなせるハイスペック上司だから家臣のミスを許せなかった…本能寺前年に起こった震撼の処刑劇

織田信長が本能寺の変で家臣の明智光秀に殺されたのはなぜか。諸説あるが、歴史通のコンサルタントである増田賢作さんは「信長は能力が高くフィジカルも強かったため、家臣たちのミスを許せず、追放や処刑という厳しい罰を与え、恨みを買った。現代でも、頑強で勤勉な上司ほど、部下を厳しい目で見てしまうことがある

16歳で賊を倒し「自分の道が見えた」伊達政宗を支えた男がたどり着いた“ほろ苦い結末”とは 細谷正充が『控えよ小十郎』(佐藤巖太郎 著)を読む
2024.06.30

16歳で賊を倒し「自分の道が見えた」伊達政宗を支えた男がたどり着いた“ほろ苦い結末”とは 細谷正充が『控えよ小十郎』(佐藤巖太郎 著)を読む

 NHK大河ドラマの主人公になったこともある、独眼竜こと伊達政宗は、戦国小説の愛読者にとってお馴染みの人物である。その政宗の懐刀であった、片倉小十郎の存在も、今では広く知られている。佐藤巖太郎の3年半ぶりの新作長篇は、政宗を支え続けながら戦国を駆け抜けた、小十郎の秘めたる夢を描いた、重厚な歴史

【Netflix】日本で人気の映画ランキング。2位は北野武監督の『首』。1位は?(6/17~6/23)
2024.06.27

【Netflix】日本で人気の映画ランキング。2位は北野武監督の『首』。1位は?(6/17~6/23)

Netflixの週間ランキングから、日本で人気の映画トップ10をお届け! あらすじや見どころも紹介しているので、ぜひ作品鑑賞の参考にしてくださいね。【あらすじ】時は戦国時代。天下統一に向けて各地で争いを繰り広げている織田信長。あるとき、織田勢だった武将・荒木村重が反

信長、秀吉、秀秋 戦国武将の動向伝える「制札」を公開 滋賀・成菩提院
2024.06.27

信長、秀吉、秀秋 戦国武将の動向伝える「制札」を公開 滋賀・成菩提院

米原市柏原の成菩提院(じょうぼだいいん)が所蔵する織田信長らの制札(せいさつ、禁制札)4枚が、3月に県指定文化財に指定されたことを記念して同寺で公開されている。制札は軍勢などの乱暴狼藉を防止するため、有力寺社などが権力者に発給を要請したもので、戦国武将の動向を知る貴重な歴史資料だという。公開は

本能寺の変は決して無謀なクーデターではなかった…明智光秀の計画を狂わせた2人の武将の予想外の行動
2024.06.25

本能寺の変は決して無謀なクーデターではなかった…明智光秀の計画を狂わせた2人の武将の予想外の行動

なぜ明智光秀は主君・織田信長を討ったのか。東京大学史料編纂所教授の本郷和人さんは「最近になって当時の宣教師のレポートが見つかった。そこには、光秀は嫡男を守るべく先手を打ち、信長を討ったと書かれていた」という――。(第2回) ※本稿は、本郷和人『喧嘩の日本史』(幻冬舎新書)の一部を

秀吉の侵攻に備えた小田原城の百姓曲輪と総構二重外帳、国史跡に追加
2024.06.24

秀吉の侵攻に備えた小田原城の百姓曲輪と総構二重外帳、国史跡に追加

 国の文化審議会は24日、国指定史跡の小田原城跡に「百姓曲輪(くるわ)」と「総構二重外帳(とばり)」を史跡範囲に追加指定するよう答申した。 ともに豊臣秀吉の来攻に備えた戦国期小田原城の総構に関係した遺跡。同城跡の14回目の史跡指定で新たに1600平方メートルを加えて計30万5千平

ダイナミックな遺構に戦乱の痕 菅谷館(後編) 山城ガールむつみ 埼玉のお城出陣のススメ
2024.06.23

ダイナミックな遺構に戦乱の痕 菅谷館(後編) 山城ガールむつみ 埼玉のお城出陣のススメ

菅谷館は都幾川を臨む台地に築かれた城館で、現在は三ノ郭内に嵐山史跡の博物館が建っています。菅谷館はわずか比高約6メートルながら、周囲を湿地に囲まれた要害性の高い城館だったと思われます。また、東側には鎌倉街道上道の都幾川の渡河点、さらに対岸には平安時代の源氏のお家騒動の舞台であり、かつ戦国期まで

戦国時代の臨場感感じる城館 「菅谷館」(前編) 山城ガールむつみ 埼玉のお城出陣のススメ
2024.06.22

戦国時代の臨場感感じる城館 「菅谷館」(前編) 山城ガールむつみ 埼玉のお城出陣のススメ

畠山重忠の館跡との伝承を持つ菅谷館は、都幾川と鎌倉街道上道が通る水陸交通の要所に築かれました。都幾川の断崖を利用した天然の要害です。いまに残る遺構は戦国時代のもので、立地的な重要性から、菅谷館付近ではたびたび戦いが繰り広げられました。長享2(1488)年、菅谷館の近くで「須賀谷原

好きな「戦国武将」人気ランキング! 第1位は「織田信長」【6月21日は本能寺の変が起きた日】
2024.06.21

好きな「戦国武将」人気ランキング! 第1位は「織田信長」【6月21日は本能寺の変が起きた日】

 本日6月21日は「本能寺の変」が起きた日で、「織田信長の命日」とされています。1582年の今日、信長の家臣だった明智光秀が大軍を率いて、京都の本能寺に宿泊していた信長を急襲しました。光秀に敗れた信長は自害しましたが、謀反の理由には諸説があり、現在でも映画やドラマなどで取り上げられることの多い

「大友宗麟」は日本国に並ぶ「BVNGO国」の国王だと錯覚した海外諸国の「勘違い外交劇」
2024.06.20

「大友宗麟」は日本国に並ぶ「BVNGO国」の国王だと錯覚した海外諸国の「勘違い外交劇」

 豊後のキリシタン大名、大友宗麟。 日本史においていわゆる「天下統一」に貢献したわけでもない九州の一大名だった大友宗麟は、海外諸国から、日本と並立する「BVNGO」国の国王と錯覚されていました。 テレビ番組『歴史探偵』(NHK総合)の「戦国ご当地大名シリーズ 大友宗

「信長を殺した男」の藤堂裕が描く、武将の裏で暗躍する忍びの物語1巻
2024.06.19

「信長を殺した男」の藤堂裕が描く、武将の裏で暗躍する忍びの物語1巻

「Sエス―最後の警官―」「信長を殺した男~本能寺の変 431年目の真実~」の藤堂裕による新作「Xinobi―乱世のアウトローたち―」1巻が、本日6月19日に発売された。同作は戦国時代を舞台に、華々しく戦った武将たちの裏で暗躍し武士は行わぬ穢れた仕事を生業とする忍びたちを描く“忍者

【難読】初見だと読めないと思う「戦国武将」の名前は? 3人を紹介!
2024.06.19

【難読】初見だと読めないと思う「戦国武将」の名前は? 3人を紹介!

 かつて、戦国時代の日本で活躍した戦国武将。多くの武将が自らの領地を拡大し、権力を握るために各地で戦いを繰り広げました。さまざまな戦国武将がいる中で、「読み方が難しい」と感じる名前の人物もいるのではないでしょうか。 そこで今回は「初見だと読めないと思う戦国武将の名前は?」というテ

クリエイター新時代の切り札「小さな思いつきを小さくかたちに」
2024.06.18

クリエイター新時代の切り札「小さな思いつきを小さくかたちに」

「いい人すぎるよ展」「友達がやってるカフェ/バー」など2023年のトレンドの一角をつくった明円卓。クリエイター戦国時代の今、次の時代を担う人材の条件とは。NEXT100の選出にも携わった明円が解説する。今クリエイティブ界隈にはふたつの流れがあると思っています。ひとつは、企業に属さ

関ケ原の戦い前夜、三成の転進なぜ? 歴史研究家・高橋さんが新説紹介
2024.06.18

関ケ原の戦い前夜、三成の転進なぜ? 歴史研究家・高橋さんが新説紹介

 「石田三成はなぜ関ケ原へ向かったのか」をテーマにした講演会が、岐阜県不破郡関ケ原町関ケ原の岐阜関ケ原古戦場記念館で開かれた。関ケ原研究会所属で静岡県在住の歴史研究家・高橋陽介さんが、三成が決戦前夜に大垣城から関ケ原へ転進したのは「小早川成敗のため」とする新説などを紹介。歴史ファンら約100人

なぜ武田信玄と上杉謙信は10年にわたり「川中島の戦い」を続けたのか…名将がこだわった「信濃国」の本当の価値
2024.06.16

なぜ武田信玄と上杉謙信は10年にわたり「川中島の戦い」を続けたのか…名将がこだわった「信濃国」の本当の価値

なぜ武田信玄は10年にわたって信濃国を攻め続けたのか。東京大学史料編纂所教授の本郷和人さんは「信玄は信濃を制圧することで、日本海に手を伸ばそうとしていた。その目的は、海運貿易による利益を得ることだった」という――。(第1回) ※本稿は、本郷和人『喧嘩の日本史』(幻冬舎新書)の一部