【東大医学部卒“頭脳王”の河野玄斗さん】中学受験は灘と聖光学院に合格「苦しい時も楽しくやれる方法を見つけてきた」苦手教科を伸ばした方法、勉強が好きになった理由とは?

AI要約

河野玄斗さんは帰国後、小5から中学受験を目指し、横浜の聖光学院と関西の灘中学に合格。勉強環境を整えることが重要だと述べています。

河野さんは帰国後、日本の文化に深くなじむ期間として、小3小4を過ごし、問題なく勉強を進めていた。算数や国語は得意だったが、理科と社会は内容が異なり苦労した。

母や父のサポートもあり、受験勉強を楽しいものと捉え、成果を上げた河野さん。勉強をポジティブに捉える姿勢が合格につながった。

【東大医学部卒“頭脳王”の河野玄斗さん】中学受験は灘と聖光学院に合格「苦しい時も楽しくやれる方法を見つけてきた」苦手教科を伸ばした方法、勉強が好きになった理由とは?

2歳から8歳までアメリカ在住、帰国して公立小学校に通い、小学5年生で受験勉強を始めて、横浜の聖光学院と関西の灘中学に合格としたという河野玄斗さん。その後、東京大学理科三類、医学部へと進み、なんと大学4年生のときに司法試験にも合格するという「恐るべき大秀才」です。そんな河野さんの中学受験、いったいどんな勉強法で合格に至ったのでしょうか? 河野さんの中学受験物語を伺います。

――河野さんは2歳から8歳まで、お父様の仕事の関係でアメリカにいらしたのですよね。 日本に戻ってきて、戸惑うことはなかったですか?

実は、あんまりないんですよ。 家庭内では日本語を使っていましたし、現地では公文のドリルをやっていたので、帰国してからも特にコミュニケーションや学習ですごく困る、みたいなことはなかったです。 小3で東京郊外の公立の小学校に転校したのですが、戻ってきてすぐの漢字テストは満点が取れていました。 クラスにもすんなりとなじめました。

ただ、アメリカでは日本の学校のリアルがわからないというか、どんなところなのかはTVドラマでの印象でしかなくて。 当時、アメリカで見られたのは『女王の教室』とかで、日本の学校はごくあたりまえに教師と小学生の闘いがあるのかとか、イジメがあるのかとか思っていました(笑)。 「日本の学校に通ったらあんなふうな感じなのかな、恐―い」って思っていましたが、実際に入った学校ではそんなこともなく、ほっとしました。

――小5の春からは中学受験を目指すのですよね。

自発的なきっかけはなくて、親に連れられて大手塾に行った、ということなんですが。 塾に入ればみんな受験をするのがあたりまえ、結果、自分もその気になっていく。 中学受験については子ども自身が自覚を持つというより、保護者の方が「いかに子どもが自然に受験しようと思える環境を作るか」が大事です。

中学受験は「しろ、しろ」って言うんじゃなくて、子どもを「そりゃするよな、するのがあたりまえだよな」って気持ちにさせて、気づいたら受験環境に身を置いて勉強していた、といううまい環境づくりがキモかなと思います。

――最近は小3くらいで中学受験の勉強を始めるお子さんも増えていますが、河野さんは5年生、その間は……?

小3の秋くらいに日本に戻ってきて、小3小4は日本の文化もわからないので、そこは日本に深くなじむ期間だったのかな。 その間、模試を受けたりはしていました。

――日本の中学受験は概ね、国語、算数、理科、社会の4教科で受けるわけですが、どの教科も問題なく解けるような感じでしたか?

帰国から3年くらいたっていましたし、塾にも行っていましたから、普通に受験勉強をして、模試を受けて……、というところは問題はなかったです。特に算数は好きなので、積極的にやりましたね。 算数は小2で中学の数学の基礎過程、小3の帰る直前には高校の基礎過程が終わっていました。国語も公文をやっていたので、そんなに困ることはありませんでした。

ただ、理科と社会はアメリカと日本とではかなり内容が違っていたのと、たとえば「光合成」っていう日本語のワードがわからない。 この2教科は一般の小学生と受験のスタートのところではかなり劣っていたんじゃないかな。 でも、後編でもお話しますが、母の勉強ののせ方もうまかったし、父も「勉強っておもしろい!」と思えるようなことをいろいろ話してくれた。自分のことを「できない」とか「劣っている」とか思うことがなくて、勉強はとにかく楽しいものなんだ、と思いながら受験勉強をしていきました。