伊藤亜和さん「存在の耐えられない愛おしさ」インタビュー 甘え、傷つき、でも愛おしむ「優しさの本質」

AI要約

伊藤亜和さんがnoteに投稿したエッセイが話題となり、デビュー作『存在の耐えられない愛おしさ』が発売された。記事では家族や友人との関係、愛おしさについて淡々と綴られている。

著名人からも高い評価を受けたが、伊藤さんは嬉しさよりも恥ずかしさを感じている。自身の文章が他人に読まれることに戸惑いつつも喜びを感じている様子。

本書のタイトルである「存在の耐えられない愛おしさ」は、悲しい出来事の中にも幸福な記憶があることを意味し、悲劇を悲劇で終わらせない決意が込められている。

伊藤亜和さん「存在の耐えられない愛おしさ」インタビュー 甘え、傷つき、でも愛おしむ「優しさの本質」

 投稿サイト「note」に綴った「パパと私」が話題になった伊藤亜和さん。家族、友人、恋人……。自身を取り巻く人間関係や、そこで見つけた「愛おしさ」を淡々と綴った『存在の耐えられない愛おしさ』(KADOKAWA)は、デビュー作でありながら、ジェーン・スーさんや森恒二さん らの著名人から表現力を高く評価されました。「耐えられない」愛おしさとは? 優しさの本質とは? 伊藤さんに聞きました。

─── 新人エッセイストながら、ジェーン・スーさんをはじめとした著名人から太鼓判を押されています。現在の立ち位置をどう感じますか?

 素直に嬉しいですね。でも正直「やった!」みたいな高揚感ではないんです。4年前くらいから気が向いたときだけ、短い日記みたいなものをnoteで公開していただけの私の文章が書店に置いてあるんだと思うと、なんだか恥ずかしくて。平積みになっている本がちょっと減っていると「誰か買ってくれたんだな」と静かに喜んでいるのですが、著者だとバレたくないので立ち止まらずに通り過ぎて、そのまま書店を出ています(笑) 。

 私の文章が初めて多くの人に読んでもらえたのは、noteに投稿した父親と私の関係についての記事でした。今でもなぜ、あんなにも多くの人からの共感の声や反響があったのか分かりません。父や家族について書こうと思った きっかけも「私の人生を知ってほしい」とか「同じ境遇に苦しむ人たちに何か届けたい」みたいなものではなくて、単純に「おもろいエピソードあるで」という軽い気持ちでした。

 「100%私の文章の力だ」とは到底思っていませんが、文章の客観性や俯瞰性を評価してくださっている声が多い事実は、大切に受け取りたいですね。小さい頃から「自分が他人にどう見えるか」を意識し続けてきたので、そんな性格が文章に反映されていると思います。

─── 本書は家族や友人との人間模様や、それを通して変化する伊藤さんの心情が綴られたエッセイ集ですが、終盤での「愛おしさ」という言葉の登場により、「これは単にエッセイを集めたものではなくて、『愛おしさ』についての一つの物語だったんだ」と感じました。タイトルにもなってる「存在の耐えられない愛おしさ」とは具体的に何でしょうか?

 実はすべて書き上げてから、最後の最後で決めたんです。それまでに書いてきたエッセイを1冊の本としてとらえてみると、線としてつなげてくれるタイトルはこれだなと思いました。

 チェコスロバキアの作家、ミラン・クンデラが書いた『存在の耐えられない軽さ』という本があって、そこから「必然的な愛おしさ」という意味を込めて拝借しました。恋愛小説ということにはなっているのですが、時代の酷な風向きも相まって、主人公は「本当にこうでなければいけなかったのか」「なぜそうなる運命だったのか」と人生を問い続けます。その本を読んで私は「悲しい出来事の中にも幸福な記憶や、心に留めておくべき体験があるんだな」と考えたんだと思います。

 つまり、悲劇を悲劇で終わらせないっていう決意を、無意識にも私は書きたかったんじゃないかな。愛おしくても、傷つけ合って離れなければいけないことがある。特に大人になってからそう思うことが多くて、もの寂しさからこのタイトルを選んだのかもしれません。

─── 伊藤さんの文章は冷静なのに冷たくないというか、俯瞰者でありつつも、人間関係の当事者として周囲との関係を大切にしているように感じました。

 皮肉っぽいこともいっぱい書いてありますよね(笑)。私の良くないところなんですけど、心を開けば開くほどその人を雑に扱ってしまう癖があって、セーフスペースへの愛情表現が甘えになっていることが文章に出ているのかもしれません。

 特に親友の山口への扱いは、本当に酷いなって自分でも思います。もちろん仲良くなっても傷つきやすそうな子はよく考えて接してますが、勝手に人の家に土足で入ってくるようなやつがいてくれるのは、私みたいな人間にはある意味ありがたいんです。そのおかげで私もそのスタンスで気負わずにいられるし、山口もそういう私の本質を汲んでたしなめてくれる。だから「ポンコツ」と呼んだり行動をいじったりはしても、人格は否定しないようにしようって思っています。