【前編】50歳からの「家電ゼロ生活」が将来のお金の不安から逃れるきっかけに…稲垣えみ子さん

AI要約

元朝日新聞記者の稲垣えみ子さんは、東日本大震災後に節電生活を始め、50歳で退社。冷蔵庫をやめたことがきっかけで安定した収入を手放す決断を下した。

超節電生活を通じて電化製品を手放し、掃除機や洗濯機など家事を手作業で行うことで、生活の質が向上したと感じるようになった。

家事を通じて自分自身と向き合い、今までの生活様式を見直すことで新たな生き方を見つけた稲垣さんのストーリー。

【前編】50歳からの「家電ゼロ生活」が将来のお金の不安から逃れるきっかけに…稲垣えみ子さん

アフロヘアで知られる元朝日新聞記者の稲垣えみ子さん。東日本大震災を機に節電生活を始め、50歳で退社。物を手放し、生き方をシンプルにしてわかったのは「家事こそ相棒」という事実でした。

いながき・えみこ

1965(昭和40)年愛知県生まれ。一橋大学社会学部卒業。朝日新聞社で大阪本社社会部、週刊朝日編集部などを経て論説委員、編集委員を務め、2016年に50歳で退社。以来、都内で夫なし、子なし、冷蔵庫なし、ガス契約なしのフリーランス生活を送る。『魂の退社』『もうレシピ本はいらない』『一人飲みで生きていく』『老後とピアノ』など著書多数。

――稲垣さんは、50歳で会社を辞め、安定した収入を手放したきっかけの一つは「冷蔵庫をやめたこと」だと語ります。

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東日本大震災の後、原発事故に大きなショックを受けた私は“超節電生活”を始めました。やっぱり原発は日本で続けていくのが難しい技術ではないかと思い、じゃあ原発なしで生きていけるのか、自分で試してみることにしたんです。

当時は神戸に住んでいて、契約している関西電力は電気の約半分を原発で作っていました。だから単純に使用する電気を半分に減らそうとしたわけですが、明かりをこまめに消すとか、エアコンの使用をやめるくらいじゃ全然減らない。

そこで意地になった私は、電化製品を一つずつやめることにしました。電子レンジ、掃除機、洗濯機のない生活なんて考えたこともなかったけれど、やってみると案外困らない。というより、いいことが多かったんです。

例えば掃除。それまで掃除機をガタガタ出すのが嫌で、掃除は週末にまとめてやっていましたが、ほうきだったらすぐ出してササッと掃けばいい。

それに、ちりとりにたまったホコリや、真っ黒になった雑巾を見るときの充実感! 掃除機がない方が、家がきれいになるわ、掃除がラクに楽しくなるわで、私は“今まであったものをなくす”ことを恐れなくなっていきました。